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第102話

まるで王宮にいた頃とは別人のように怒りと不快感を露にする允琥から暴言を吐かれた男は、ふっと悲しげな笑みを浮かべる。 とはいえ、それは極些細な変化だったため至近距離にいる煌鬼さえ一瞬しか見れなかったのだが、それを目の当たりにした時、何とも言い様のない罪悪感が心を支配した。 「…………おいの名前は、紅緒って言うんだべ。情けないことに、女みてえな名前っちゅうわけだべさ。おいも、こんな名前___嫌いだべ」 そう言うと、紅緒と名乗った――その男は、ふいに二人から背を向けて他の囚人らの後に着いて先を歩いてゆく。 そして、消え入りそうな声で困惑する煌鬼ではなく未だに怒りの炎が消え失せてはいない允琥へと向かって、こう呟いたのだ。 「そこの坊主、さっきは悪かったな……だが、安心するんだべ……もう、必要な時以外は……つまり逆ノ口鉱山での作業中、どうしてもの時以外は無駄話はせんし、命令以外では……お前さんらに話しかけたりはしねえだべ……それで、許してくれるべか?」 「…………」 允琥は、無言のままで渋々とだが頷くのだった。 * 允琥の意外な態度を目の当たりにしたものの、かといって逆ノ口鉱山へ続く道から王宮へと引き返すという選択肢などある訳もなく、煌鬼は允琥と気まずい思いを抱えつつも他の囚人らの後に続いて逆ノ口鉱山へ続く曲がりくねった道を歩いていく。 雨がひっきりなしに降っているせいもあるのだろうが、ここは酷く寒いのだ。 それに、昼間であるというのに、まるで夜のように薄暗い。周りにあるのは、大木と地に生えている雑草ばかりだし油断していると木の根っこに足を取られて危うく転びそうになってしまう。 頭を目玉のみの部分がくりぬかれた麻布で覆われ、視界が極端に奪われているだけでなく、更には他の罪人達と同様に両手を頑丈な綱で縛られて自由を制限されているのだから尚更だ。 しかも、ずらずらと蟻のように群がる罪人達だけでなく、この行列の中には何人か監視守がいて此方の動向に目を光らせているのだ。 思えば、この逆ノ口鉱山のへ至るまでに続く道を歩き続けてきてから、一度も休んでいない。正確な時刻は分かりようがないものの、恐らくはとっくに日が暮れて王宮にいた頃であれば湯浴みをした後の夕餉(晩御飯)の刻辺りの時刻ではないか。 (腹が減った――よくよく考えてみれば昼間に……ぱさついた小さな握り飯と少量の水を口にしたのみではないか……) それ以降は、全くといって食物を口にしていない。 もしも、このまま何日もこの状況が続いていけば最悪の場合は餓死してしまうのが目に見えて明らかだ。 それを自覚した途端に、まるで得たいの知れない不気味な存在に心臓をぐっと鷲掴みにされているかのような――そんな、おぞましい恐怖の感情に心が支配されてしまう。 事実、周りを見渡してみると煌鬼だけでなく何人ものやつれた罪人達が死んだ目で虚ろな表情を浮かべ真っ直ぐ前を見据えたまま、余計なことなど考える意味などないといわんばかりに、ひたすら両膝を前後へ動かし続けている。 歩みを止めた瞬間、無慈悲な監視守の者らが震える体へと容赦なく鞭を打ち付け、「しゃんと仕事せんか!!いいか……今晩の飯は抜きじゃけ、命がもつかどうか覚悟しとくがええ」と鬼の如き剣幕で怒鳴りつけるものだから、それも無理のないことだった。 次は我が身か――と、言い知れぬ不安を抱いた煌鬼の耳に、微かに何か物音が聞こえてきた。 それは、陰気な道を歩き疲れて心身共に疲弊しきって憂鬱な気分に支配されきってしまった____ ____そんな時だった。

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