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第105話

「な、なぜ……こんな山奥――しかも鉱山という不釣り合いな場で絡繰人形が____」 隣で同じように呆然としている允琥が、驚愕とした表情を面に浮かべつつ、煌鬼にしか聞こえないような声量で呟いた。 そのため煌鬼は、既に相棒と呼んでも過言ではない存在である允琥の方へと訝しげな目を向ける。 【絡繰人形】という言葉さえ、耳にしたことがない。 (いったいぜんたい……絡繰人形とは何のことなのか、それに何故王宮で過ごす中でそれと触れ合う機会のない暮らしを送ってきたにも関わらず、そのような得たいの知れないものの存在を知っているのか____) 強烈な好奇心が頭の中で浮かんだため、いっそのこと彼に直接尋ねてみようと思った煌鬼。 だが、結局は聞かないことにしようという結論に至った。 それというのも、おそらく允琥は歌栖が生きていた頃に【絡繰人形】という奇異なものの話しを聞いていたのだろうという推論に至ったからだ。 かつては逢瀬を重ねていた二人の会話を直接聞いていた訳ではない。 しかしながら、昔とは違って他人に少なからず興味を抱き、また朱戒という男と出会い、深く交流するようになっていく中で煌鬼は徐々に変わっていったのだ。 允琥や朱戒といった以前は然程親密ではなかった筈の人物との親交を繰り返していく内に、他人に対して心を開くのは人生を過ごしていくにあたって重要なことだと学んだ。 それにより、ごく自然にそのような推論を頭に浮かべることができた。 少なくとも、かつてのように他人に対して然程興味が湧くこともなく、ただ単にその日の公務をひたすらこなしていくだけの日々を過ごしていくだけの自分であったならば、このような考えなど頭にすら浮かばなかっただろう。 「允琥よ、絡操人形とは……いったいどういう物なんだ?無知な俺には、どういった物か見当もつかないのだが____良ければ教えてくれないだろうか?」 「いつだったか歌栖が文献を見せてくれた。実物を見るのは初めてだけれど、絡繰というのは古くから【婢埜和】という異国に伝わっている機械的仕組みのことで……今、あそこにいるのはその中でも茶運び人形と呼ばれるもので間違いないと思う。ほら、両腕を胸の前に留め茶碗を持っているのは見えるだろう?あれは華やかな着物の内部にある《ぜんまい》《はぐるま》といった仕組みを操ることによって動かすことが可能らしい。まあ、詳しいことはよく分からないけど……歌栖はもっと詳しかった」 周りの罪人達、更には監視守らに気付かれないように囁き合うようにして小声で話す煌鬼と允琥。 「機械的仕組み……か。そういえば、以前――俺もちらりとだが見た覚えがある。確か、それも婢埜和のもので時を知らせる円形のものだった。ということは、あの華やかな赤き着物の内側は……あれと似たような作りになっているということか?」 無言で、しかしながら――どことなく不安げな表情を浮かべつつ頷く允琥。おそらく、允琥とて目の前に突如として現れた奇怪な人形のことは詳しくないゆえ、得たいの知れぬ存在に対する恐怖心を抱いているからに違いない。 それに、此方とて罪を犯した(実際はそう思うように仕向けただけだが)重罪人という存在だと思われているのは確かだ。 今目の前にいる奇怪な人形が、罪人である此方に対して何らかの危害を加えようとしていても、何らおかしくはない。 (おそらくは、あの監視守らの慌てぶりから察するに、この鉱山を取り纏めている乙家と甲家の者のどちらかに違いないだろう____そういえば監視守の男は甲ヶ耳の坊様ら……と言っていた――つまり、甲ヶ耳家には少なくとも後継者が二人はいるということか____) しかしながら、それを明確に判断することは煌鬼らには極めて困難だ。 というのも、なるべく甲家と乙家の者との直接的な接触は避けつつ、この境ノ口鉱山を取り纏めている巨大な存在の情報を得たいと考えている。 唯一無二の協力者である允琥の身を危険に曝す訳にもいかないうえ、何よりも逆ノ口鉱山という得たいの知れない場所に来たばかりで面倒事を起こしては、此処に来た根本的な動機ともいえる【何者かによって狂わされた王宮を救う】【それと同時に正気を失った愛する朱戒や母をも救う】という目的が早々に果たせなくなってしまうという最悪の事態になり兼ねないからだ。 ここにきて、煌鬼は再び監視守の男らに目線を向ける。 先程、弟を探しに来たという男を目の当たりにする様を見た時よりも、明らかに《人形》とやらが出現した後で体をがたがたと震わせて顔も険しく異様に怯えている。 そして、そんな二人の男を観察することによって、煌鬼は弟を探しに来た男が【乙家・早乙目足首】という立場であり、絡繰人形を何処かから操っている者とやらが【甲家・甲ヶ耳の当首(又は足首)】であると勝手にとはいえ導き出す。 煌鬼がこのような考えを導き出したところで、それを口にすら出せず、更にどのような危害を加えられるとしてもおかしくない異様な状況のため、周りで立ち尽くしてる罪人達はおろか、指示を出して彼らを纏める監視守の二人でさえ怯えきり、身動きすらとれずに固まってしまっていた。 すると少ししてから、またしても予想だにしなかった出来事が起こってしまう。 【絡繰人形】がゆっくりと近付き、動きを完全に止めた直後――その両手に持っていた黒いお椀に入っている水を、目の前にいる、ある人物に対して勢いよく吹っ掛けたのだ。 その人物は、煌鬼でも允琥でも――更には他の罪人達や監視守の男二人でもない。 それに、煌鬼がおそらくは人格者だと勝手に判断を下した男でもない。 あろうことか、鈴のように儚く美しい歌声を披露した舌足らずの男童へ対して水をかけたのだった。

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