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第110話
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そこに足を踏み入れた途端、煌鬼は先程まで歩いてきた一合目から五合目までの【下足部】と呼ばれる道のりとは比べものにならないほどの重々しい空気と尋常ではない寒気に襲われてしまう。
【下足部】でも寒気は、ずっと感じていた。
しかしながら、それは雨が降り続いているせいで体が冷えきったという単純な理由に過ぎない。
今は、【下足部】と呼ばれる道をひたすら歩いている時と違って雨は降り続いてはおらず、整備などされていない坂道が幾つもあるため、それどころか汗が流れていて体は火照っている状態だ。
ふと、周りの罪人達の様子を見てみても――殆どの者が涼しさを求めるがゆえに片手で顔をあおいでいたり、川で汲んだなけなしの水で水分補給したりしている。
それにも関わらず、両腕で体を抱えつつ庇うような態勢をとる己の身に凄まじい寒気が終始襲いかかってくるのは何故か分からないため、ずっと隣にいる允琥からでさえ、とても不安そうな視線を向けられる始末だ。
「煌鬼よ、先程から様子が変だぞ……まさか体調でも悪いというのか?」
「い、いや………実はこの道を歩いてからというもの、周りにある鳥居の不気味な様に恐れおののいてしまっていてな……不甲斐ないことだが、どうにもこういった物が苦手で恐怖を抱いてしまったのだ____」
咄嗟に誤魔化してしまったが、允琥はそれ以上深く言及することはなく、無言で何秒間か煌鬼の目を見つめた後に何事もなかったかのように、ふらふらとした足取りで複数ある内の一つの鳥居の方へ歩いていってしまう。
「ここにある鳥居というのは、確かに不気味なものだが――だが、それがいったい何だというんだ?人間のように明確な意思を持って動くわけでもあるまいし、いや……そもそもこんなものがあるから……っ____」
ぴたり____と鳥居の真下で足を止めた後に、頭上に聳える古びた大きな鳥居を一心不乱に睨み付けながら叫ぶ允琥の姿が、ただでさえ霧が立ち込める山道の不気味さを際立たせている。
更に、允琥は突如として睨み上げるのを止めたかと思うと、今度は鳥居のてっぺんの笠木から真っ直ぐに垂れ下がる長い黒布を勢いよく何度も引っ張った。
そして、遂には貫や柱を覆い尽くすほどに巻き付けられている鈴を力任せに引きちぎり自らの手首に巻き付けると、そのままうっとりとした表情を浮かべつつ手首を左右に振り、その優美な鈴の音に聞き惚れているのだった。
「こんの、罰当たりが……っ____よりにもよって、代々の甲ヶ耳の坊様が丁重に奉り続ける狗賂鳥居にあげんことしよって……」
監視守の男二人が血相を変えて、慌てふためきながら怒りのままに允琥の肩を乱暴に掴むと、そのまま力尽くで地面に叩きつけるように抑え込む。
しかしながら、そんな酷いことをされても允琥の虚ろで夢うつつな表情は一切変わることなく未だに鈴を穴が開くほどにじいっと見つめ続けている。
監視守の言葉に対する謝罪の言葉など、一切なしだ。
その異様な允琥の態度が、監視守の男達の堪忍袋を刺激してしまったのだろう。一人の男が遂に鬼の形相さながら凄まじい剣幕で允琥を睨み付けると、その小柄な体へ向かって容赦ない蹴りをお見舞いした。
これには、流石にもう一人の監視守も驚いたのか相棒の暴走を制止しようとするも、逆に突飛ばされてしまい地に尻もちをついてしまう。
その後も、監視守の男の暴走は止まらない。
周りの罪人らは、自らを守ることで必死で今起こっている惨劇を見てみぬ振りをして最初からなかったことにしようとしている。
(確かに允琥がしたことは罰当たりだ……監視守の奴らの気持ちも分かる____だが、それでも…………っ……)
これ以上、暴力によって傷付けられている允琥を見ていられなくて煌鬼は覚悟を決めた。
その直後の煌鬼の行動は、案山子の如く突っ立っていることしかできない罪人らにも――更には尻もちをついてしまった、もう一人の監視守の男にも予想外な行動で呆気にとられてしまう。
「済まない……允琥の異変に薄々とはいえ気付いておきながら、きちんと観察していなかった俺の責任だ。だから、これ以上は彼に危害を加えるのは止めてほしい。どうしても気が済まないというのなら……保護者である俺を蹴るなり殴るなり好きにしてくれ」
土下座しつつ、監視守の男へ謝罪の言葉を述べる煌鬼。体は恐怖から小刻みに震えていたものの、その声色はしっかりとしていた。
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同時刻____。
そんな煌鬼達がいる真上の木から、鋭い視線を注ぐ一人の男がいたのだが、そんなことはその場にいて騒動に晒された者達には知る由もないのだった。
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