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第121話
「ああ、そうだったな。この者の名前は頼人という。早乙目足首である要の弟であり、大方察しているとは思うが、少々知能に問題がある。だが、それでも…………」
いかんせん早乙目足首の名前すら分からないものだから、どのように反応していいか躊躇していると、意外なことに巽の口から簡単にとはいえ事情を説明してくれた。
そのためか少しばかり不安が緩和された煌鬼は思いがけず笑みをこぼしてしまう。
しかしながら、どうしてか会話が終わらない内に彼が口を閉ざしてしまったため、その理由が己の背後にあることを察知する。
巽が突如として鬼のような形相となり、此方の背後を凝視し始めたからだ。
それに気付いた途端に、再び底知れぬ不安に見舞われてしまい、恐る恐る背後を振り返ってみることにした。
何のことはない____。
いつの間にか【雨】が降り始めていたのだ。
(つい先程までは……雨が降る気配などなかったというのに____)
あまりにも急激な天気の変化に対して、そこはかとなく疑問に感じたものの、所詮は余所者であり逆ノ口鉱山一帯の天候について詳しくはないため、そんなことを聞くのは野暮なことだと判断した煌鬼は大して気にも止めずに関心は天候よりも頼人へと注ぐことにする。
そんなことをしているうちに、どんどん時間が過ぎていく。
雨脚は段々と強くなっていき、互いに目配せした後に急いで建物のかげに身を潜めることにした。
その時に巽が頼人の腕を引きながら、ずぶ濡にならないように自らの体で庇うように走るのを――煌鬼は確かに目にしたのだ。
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ふと、いつの間にか雨が止んでいることに気づく。
更に灰色の雲の隙間から、欠けた月が顔をだしていて湿った地面を僅かな光で照らしている。
小さい水溜りに、ぼやけた三日月が映し出されていて、その魅惑的な光景を目の当たりにして息を呑む。
王宮の中庭でも、幾度か同じような光景を目にしたことはある。
しかしながら、今宵のように息を呑むほど美しく目を引くようなものは今まで目にした覚えはない。
少なくとも、これほどまでに心が揺さぶられると感じたのは初めてだ。
そして、何となくとはいえそのように感じた理由が分かったような気がした。
純粋無垢な存在――すなわち、頼人が最初に出会った時のように両目を閉じながら、此方の反応など微塵も気にかける素振りすら見せずに、両手を大きく広げて軽快に足踏みをしながら、ただひたすらに鼻歌を口ずさむ光景を目にしたから王宮に居た頃とは違う感情に囚われたのだ。
すると、突如として頼人に片腕を掴まれてしまう。
それも____まるで大人の男のように強い力で。
「お……ね…………い」
突如として吹きつけてくる強い風で揺らぐ葉の音のせいで、良く聞きとれなかった。
だが、彼の瞳には困惑の色が浮かんでいるように思えてならない。
一時はそう考えたものの、先程の滝のような雨にうたれたせいで雫が目に入ったため単に潤んでいるだけではないかと思い直したのだが、やはりそれは間違えてはいないようだ。
満面の笑みを浮かべてくる頼人によって、腕を掴まれ、ある場所へ連れて行かれることとなるのだが、突如として降ってきた雨のせいで地面がぬかるんでいるせいで下駄が泥にまみれ、何度も転びそうになる。
不快な思いを押し殺しつつ歩みを進めていくと、その異様としかいえないような光景を目の当たりにしてしまい、何も言葉が出て来なくなってしまった。
「こ………っ……この洞窟はいったい何なのですか?」
かろうじて、声を振り絞って追いかけてきた巽へと問いかける。松明を頼りにしているだけなので視界が良好とは言えず、またこの土地柄ゆえになのか、じめじめとしていて居心地がよいとは口が裂けても言えない。
しかし、それよりも何よりも頼人が此処へ連れてきた動機が理解できずに心がざわついてしまう。鳥肌がたち、冷や汗すら滲みでてきてしまう始末だ。
「………………」
不気味といえば、巽の態度もそうだ。
問いかけにすら、応じてはくれずに目線すら合わせることなく黙り込んだままだ。
「す、じゅ……め………れ……っ……あ、れ____」
殊更に明るい頼人の声が、陰湿な雰囲気を纏う洞窟内に響き渡る。
不快な気分を抱いたままだが、どうすることもできずに仕方なく彼が指差す方向へ松明を
向けるしかないのだった。
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