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第31話

 テレビのドラマでしか――滅多に観ないが、お客様の観ているドラマの話題にも付いて行くためだけに仕事の延長みたいな感じ嫌々観ている場合も有る――拝んだことのない小切手のゼロの多さに、つい何度も指で数を確かめてしまう。  小切手が使えるとうことは、銀行を上手く騙しているのか、それとも裏で銀行の上層部と繋がっているのかもしれないなと思いつつ。  今は反社会勢力と認定された口座は即座に凍結される世の中だ。それなのに日本人なら誰でも知っているメガバンクの小切手が用意出来るのだから。ウチの店は反社ではないものの――多分売り上げを過少に税務署に申告でもしているのだろう――請求書きは手書きなことを思えばこの店の方がマトモなような気がする。まあ、店の雑費などを当然引いてあるだろうが、それにしてもオレが一晩で最も稼いだ日よりも多い。  まあ、お客様を楽しませるとかストレス発散という点では同じだが、していることの質が違うのでこの物凄い金額なのかもしれない。 「ねえ、2億円有れば部屋って借りられるのかな?」  オレがその言葉に二重に驚いてしまった。 「部屋を借りるどころか『ちょっとした』家なら即金で買えるわよ?」  詩織莉さんがあれだけグラスに口を付けていたにも関わらず、ルビーの首飾りの紅さと同じ色の唇を綻ばせていた。  詩織莉さん的には「ちょっとした」家なのかも知れないが、庶民からすれば豪邸だろう。 「そうなの?じゃあ、住むところには困らないね……」  詩織莉さんから皮の小切手ホルダー(?)を嬉しそうに受け取ったユキはオレの顔を見て胡蝶蘭よりも綺麗な顔を輝かせていた。 「それは後で……。これ以上居たら、貴方達も危ないわよ?」  オレもユキも小切手に目を、そして多分全神経を注いでいたので気が付かなかったが、詩織莉さんが意味有り気に客席側に艶やかかつ冷ややかな眼差しを向けた。  そこで繰り広げられていたのは、ソドムの街にでも滅多になさそうな淫らな饗宴だった。  多分、ショーに触発されたのだろうが、服をキチンと着ている人間などいなかった。それにユリやジャニーズ系の青年などは挿れられる穴は全て塞がれて、それでも気持ち良さ気に身体を揺らしている。  それに、100万円の札束をばら撒いている葉巻を吸っていた中年男などは、二人の割と綺麗目な男を二人並ばせて交互の穴に挿れるというプレイを楽しんでいるし。 「ユキ、取り敢えず控室に行くぞ」  あれだけの痴態を晒した「この場の女王」の身の危険は詩織莉さんでなくとも気が付くだろう。 「分かった。ポロシャツとかシオリお姉さんに言われて用意していて良かったよ。有難う」  ああ、詩織莉さんはそういうことまで想定していたのかと内心で感心しながら舞台の胡蝶蘭とかの鮮やかさがウソのような殺風景な通路を三人で歩む。  ただ、ウチの店でも同じようなものだったが。客の目に触れない場所ならこんなモノだろう。  色香しか纏っていないユキとゴージャスな正装の詩織莉さんの姿だけがこの場に不似合だった。  特にユキの瑞々しく濡れた身体にはつい視線が行ってしまう。行為の後の匂い立つような身体とは裏腹に、表情は理知的な感じだったのも。ただ、どちらかというと日本的なクラシカルな端整な顔はとても綺麗だった。 「大丈夫だよ。服くらい自分で着られるよ、僕だって……」  控室には誰も居なかったのも幸いだった。ただ、会場は先程よりも大変な事態になっている上に、札束まで飛んでいたのでスタッフがそちらに向かうのはある意味当たり前だろうけれど。 「いや、早く中を洗い流さないとマズいんだ。お腹を下すことにもなりかねないので。だから一刻も早くここを出ないと」  オレが手早く服を着てユキを手助けしようとしていると、詩織莉さんは慈母に似た笑みを浮かべて見ている。 「そうなの?」  ユキが細い首を傾げてオレを見ているのも物凄く可愛い。 「そうだ。この店にもシャワールームくらい有るだろうが、スタッフはそのことを知っているんだろう?あの大勢で愉しむプレイで意気投合した人が『二人きりで……』と考えたらシャワールームに籠る可能性は高いからな」  それに、ユキが一人でシャワーを浴びていると襲いかかられる可能性も高い。オレにだって多少の腕っぷしは立つが、あの客の中にはほぼ確実に893業界の人間が居る。そういう社会の人間は何らかの武道で鍛えていることが多いのも知っていた。  そういう人間に本気でかかって来られたらオレだってユキを守りきる自信はない、情けないコトに。 「分かった。早く店から出れば良いんだね」  ユキも多分オレと同じリスクに気付いた感じで手の動きが早くなった。 「ユキを乗せて行って貰えないかしら?リョウのマンションに。私もタクシーで向かうわ、良いでしょ?」  オレの車は――この職業は見栄を張る必要も有って――二人乗りのフェラーリだ。来た時には詩織莉さんがその席を占めていたが、まさかこういう展開になると思わなかった。  どちらを乗せるべきかを――オレ的にはユキだったが、流石に遠慮も有った――詩織莉さんは見抜いたような感じで言ってくれた。 「え?マンションご存知でしたか……」  感謝の笑みを浮かべながら取り成すように言ってしまうのは客商売の悲しさだった。 「聞いたことは有ったわよ。それにこの辺りはタクシーも直ぐに拾えるので『あの車を追って』というのを演技じゃなくてホントにしてみたかったし、ね」  ユキはさして迷う感じもなく、そして普通の日本人が羨望めいた視線を流すこともなく詩織莉さんに会釈をした後、助手席に乗り込んだ。しかもフェラーリ独特のシートベルトも器用にセットした。  料亭を彷彿とさせる店の車寄せはさながらモーターショーのように高価な車が並んでいた。  そして、ほぼ満車状態ということは店内でお愉しみの最中というところか。  そんなことを考えながら急発進させた。  詩織莉さんがウチに来るということは、全てのことが開かされるのだろうか?

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