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第32話
「うわぁ。凄いね……。どこで靴を脱げば良いのかな?」
ユキがオレのマンションの玄関エリアを物珍しそうに見回していた。切れ長の瞳をほぼ真ん丸にしているのが可愛い。
ショーの肉体的・精神的な疲労は当然有っただろうが、今のところオレのタワーマンションの最上階の方に注意が行っているようだった。
「靴は脱いでも脱がなくても良い。そのまま上がって貰えれば」
大理石の床なので――といっても床暖房は完備されているが――靴は住人の自由意思に任されている。
「そうなんだ……。夜景も綺麗だね……。こんな高いところから見るのは初めてなんだ、僕」
オレ達の商売では――オレは売れだしてからはしていないが――枕営業も有りがちなので、部屋に「ご招待」が最も上客というのが不文律だった、少なくともオレの店では。
そういう時の「武勇伝」は良く聞くが「夜景が綺麗」とか言って窓に近付く女性は最も強かだとかツワモノだとのことだった。
オレの場合は売れ出す前に不本意ながら「枕」をしていたので、なるべくお金が掛からないようにするしかなかったが。
それでもこんなタワーマンションに住んでいるのは後輩に夢を与えるためというのが大きい。
役職に就くのが決まっているので、キャストの育成とか親睦を兼ねた「宅呑み会」とかのために借りているようなモノだった。
ユキの場合は、そういう「強か」というか目論見があると言うワケではなくて単純に夜景を眺めている感じだった。しかも――多分、東京生まれみたいだが、オレと同じく地方から出て来たみたいな感じで――物凄く感動しているようだった。
冷蔵庫からミネラルウオーターを出して手渡した。さぞかし咽喉が乾いていると思ったので。
ユキはお礼を言ってごくごくと飲んでいる。何だかその薄紅色の咽喉の動きも初々しさと艶やかさに満ちていて、つい見詰めてしまった。
「バスルームを使ったらいい。手伝おうか、洗い流すのを……」
ユキが薄紅の顔から、さらに顔に朱を散らしているのが可愛い。
ショーの時はある意味理知的な判断も加わっていて、それに対してたいそう好ましいし愛おしいと思ってしまったが。
「大丈夫、一人で出来るからっ!!バスタオルとか勝手に使って良い?」
本当に出来るかどうか未知数だが――ユキの華奢な指の長さを考えると――ただ、その恥ずかしさは分かるので好きにさせることにした。
「もちろん、バスルームはこっちだ。この棚の中に必要な物は入っているので」
扉を開けて、クローゼットめいた戸棚を開けた。そこには後輩が来た時のために色々と用意している。
「男の人、たくさん来るんだね……」
ぽつりと言ったユキの口調が何だか寂しそうだった。
「いや、これは後輩が家に呑みに来た時用で『特定』の人は居ない。
ユキがそうなってくれれば嬉しいんだが……?」
ユキの涼しげな感じの切れ長の瞳が真ん丸になっている。そういう無邪気な顔はオレの鼓動を早くする。
「僕なんかで良いの?ホントに……」
バスローブとかを抱えているユキにゆっくりと近付いて唇を重ねた。
「良いに決まっている。ショーの時に言ったのは本心だ。
流されるわけでもなくて、観客の視点というか……ニーズに応えて振る舞っていただろう?
ショーも、そして『行為』自体も初めてなのに。そういうところまで考えられるところが大好きだ。もちろん、顔とか身体、そしてその身体の相性もバッチリなのは今夜分かっただろう?
だから正式に付き合いたい、ユキが良ければ……」
薄紅色の唇は動いていたのに、言葉が出て来ないのも――あんなにショーでは艶めいた声を出していたというのに――初々しさに溢れている。何だか、ショーの時とは別人みたいだった。それもとても愛らしかったが。
何かを言いかけた時に来客を告げる軽快なチャイムの音がした。詩織莉さんだろう。
それはユキにも分かったのだろう、バスルームへと小走りに向かった。
詩織莉さんとユキには特別な繋がりが有るらしいので、こういう場所では気まずいのかも知れない。
「詩織莉さん、今開けます」
一応、液晶画面をチェックしてからドアのロックを外した。
変な人間が来ないとも限らないし、後輩が酔った挙句にウチに来ることも有る。何時もならそれなりに歓迎するが、今夜だけはご遠慮願いたい。
「お邪魔するわね。流石、ナンバー1ホストに相応しいお部屋だわね……。あの大きなPCは何のために使うの?」
詩織莉さんが周りを見回して感心したように笑った。
「ああ、あれですか?お客様の中には経営者の方も多いので、実際に株取引とかもしているんです。小さい画面だと見落とすことも有るのでこのくらいの大きさは必要ですね。新規公開株とかも申し込むと良い副業になりますので」
詩織莉さんは興味なさそうに――それはそうだろう、彼女の本業は「映画女優」だ――頷いている。
「ユキはバスルームかしら?
だったら、その間に詳しく話せるわね。
あの子は、私の腹違いの兄弟なの。そして――」
ああ、それで何となく顔が似ているのかと思ってしまった。そして、詩織莉さんがユキを特別扱いしていたのも納得だ。
そして――何だろう?
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