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第34話

 黙って慣れた仕草でルビーが中心のネックレスの紅い光りとワイングラスがお互いに煌めきを放っている詩織莉さんのグラスに血の色をした酒を注いだ。 「これまで誰にも言っていないのよ――母は元々が新宿一の高級クラブのナンバーワンホステスだったのだけれども、その分それなりのプライドを持っているし、怒った時の言い方とか攻撃性は……リョウなら何となく察することは出来るでしょう?  正妻さんが仕組んだことではないのは分かっていたわ。だって風にも当たったことのないような人でしょう?良い意味で浮世離れしている女性だったし、私に対しても実の娘のように接してくれていた。そして『私は女の子を産めなかったから』と、何だか庭の梅の花が咲いたのを発見した時のようなのんびりとした口調で言うような人だったのよ。  そんな人がそんな『生臭い・キナ臭い』話を受け付けるわけがないのは14歳の私ですら分かったし、母に暴露したって逆効果になることも」  確かにナンバー1になるような女性は勝気で負けず嫌いが多い。ま、オレもその中には含まれるが。  そして、オレの客には余り居ないが、同僚の中で『極上の太客』に今新宿だけでなく東京の全てでナンバー1の売り上げを叩きだすホステスが、その取り巻きのホステス嬢を伴って来店して下さることは有る。職業柄ストレスも溜まるので彼女達がその解消にと呑んだお金は全てそのナンバー1が支払っている。  店にいらっしゃる時には大振りのバーキンに札束を最低500万円以上を無造作に入れて来るという話は店での語り草になっている。特別な日などで「お祝い・打ち上げ」などの多い時は1千万円を一晩で気前よく使ってくれるお客様だった。  しかし、自信に裏打ちされたプライドも高い上に、誰だってそうだろうが慣れない新人時代からその地位まで上り詰めるためには勝気さとか負けん気が必須なのは女性も男性も同じだろう。それに14歳の詩織莉さんが遭遇してしまった「事件」を知ると母親としても許せない気持ちになるのは、むしろ当たり前だとも思う。  だから詩織莉さんの判断は正しかったと思えるが――ああ、そう言えばユキにも似たところが有るなと思い返した。ユキの場合もあんなショーに無理やり出されて、初めての行為を強いられているにも関わらず理知的かつショーの客を楽しませる創意工夫までしていた。そういう点は多分父親の遺伝的要素なのだろうか?  オレは同性にしか興味はないが、そういう点「も」大変好ましいと思ったし、愛情を抱いてしまったが。 「それでね……。私はこんな世界から早く別の場所に行きたかった。  あんな忌まわしい過去が出来てしまったのはもう取り返しが付かないし……。高校生の時に銀座の和光の前で今の会社から女優にならないかというスカウトをうけたのよ」  なるほどなと思って深く頷いた。職業的な会話術では相手が言ったことを反復したり言い換えたりして「聞いています」と暗にアピールするのが基本だったが、この話題ではそんな「軽い」モノではなかったので。  銀座の和光前というのは、スカウトのメッカとしてその道では有名だ。  それこそ銀座のホステスさんなどは「和光前で友達を待っている間に女優だのアイドルだの、そして『ウチの店で働きませんか?貴女なら時給2万円からスタート出来ます』とか言って名刺を渡されてその名刺だけで掌の上に小山が築かれるということは多いと聞いていた。  詩織莉さんは、間違いなくそのタイプの人間だったので、今の所属事務所以外からもその手の話はそれこそ山のように有っただろう。――ちなみに、顔が残念だったりすると名刺などは渡して貰えないとか――。彼女なりの謙遜めいたモノなのかも知れない。 「ちょうど買い物を済ませた母が来て、ウチの事務所の名前はある程度知られているでしょう。だから、そのスカウトの話を聞いて社長に電話したってワケ。嬉しかったのだと思うし、ほらああいう世界も闇が深いので、本当にウチの事務所の人間かを確認したかったのでしょうね。  そして、小学校の頃から母が憧れていたのが女優という職業だったことも良かったのか、すんなり話はまとまったわ。  もちろん、実家のことは極秘扱いで行くようにとの厳命は事務所の社長から有ったのだけれど……」  だから詩織莉さんのプライベートな話題が全く出て来ないのだなと思った。  「そういう」家出身を売りにすることも戦略的にはアリだろうが、もっと良いのは隠すことだろうから。  詩織莉さんは色褪せない赤い唇を自嘲気味に吊り上げていた。 「ただね、知る人は知っているわけで――表立ってのことではなくて、そうなればバッシングの対象になるでしょう――父と極秘で繋がりたい人なんてやっぱり居るのよね。  だからそういう面も考慮された一面も有るわけ。映画を中心に出演している根本には」  父親のバックというか親の七光り的なことは誇り高い詩織莉さんにはある意味、唾棄すべき対象なのだろうな、とも。 「親御さんが物凄いベテラン俳優・女優のご夫婦のお子さんが時々デビューしますよね?  しかし、一時の話題にはなってもその映画なりドラマなりが流行って、しかも継続した人気を誇っている人の方が少数派でしょう。  最初は『あの美男美女ご夫婦似の!』みたいな感じでマスコミも乗って来ますが、その後テレビで『ご両親に比べると、ね』とか思われてしまうパターンですよ。一回きりで忘 れ去られて行く人の方が圧倒的に多いと思いますが。だから数年間もずっと映画に主演レベルで起用されて、その人気はむしろ伝説的なモノになっていますよね」  詩織莉さんの場合は継続的に人気を誇っているので、親の七光りではない。 「そう?そう言って貰えるのは本当に嬉しいわ。  ただ、実家からは毎月仕送りめいた感じで、纏まった金額が入金されているのも事実なのよ……。もちろん手を付けずに定期預金に回しているけれど。  それはそうと、父が脳梗塞で倒れてしまって……、命には別状はないけれど、言葉が上手く話せなくなったり麻痺が残ってしまったりして病院のベッドからは離れられない状態ね。しかも、私にああいうことをさせた正妻のお兄さんが関西の方で組を拡大しようとして返り討ちに遭って、それでそちらも再起不能の状態のようよ」  あの組のことだろうな……と漠然では有るものの思い当たる。確か、神戸の有名ホテルで発砲されて重体とか新聞で読んだ。 「なるほど。それで?」  良い気味だ的な笑みを浮かべる詩織莉さんは性格が悪いわけではなくて、あんな無体な仕打ちをした人間が許せないだけだろう。

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