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第35話
「正妻はそういう人だから、ここぞとばかりに母が反撃に出たわ。『ユキもまだ若い上に社会経験も全くないので、今組を任せるわけにはいかない!』というスタンスだったようよ。
そこのところまでは詳しくないのだけれど……」
ユキは社会経験どころか普通の感覚とはずれている。まあ、そういうおっとりした母親に育てられたので仕方ない部分では有る。ユキのせいとは言い切れない。
「御家騒動ってヤツですか?詩織莉さんが大名の奥さん役をした映画のように?」
詩織莉さんの出る映画は当然観ている。上客なので義理で……というよりも、彼女の演技力とか凝った脚本などの映画単体で鑑賞している。
「そうね。まさしくお家騒動ね。母は幹部からも『姐御』と慕われていたし、事実そういう人にたくさん恩を売っていたしね。
そして、実家のバックアップを受けられなくなったユキのお母さんはどうしようもない状況になってしまって……。
そしてウチの母を熱狂的に慕う一部の過激な人間達が『邪魔者は居なくなった方が良い』と。
あんなショーに出て、しかもあちらの世界では『男らしさ』が最大の美徳でもあるわけなので――」
ああ、そう言うことかと思ってしまった。
観客の中にも「あちらの世界」の人間らしき人が――しかも上の方に居るタイプだ――たくさん居た。
そういう中で次期総裁候補のユキが「タチ」ではなくてことも有ろうにネコ役をしたというのは致命的な過去の汚点だろう。ウチの店は893とかのいわゆる「反社」と呼ばれる界隈との繋がりは無いが、そういうウワサは色々と入って来る。ホステスさんとかキャバ嬢に太客を持っている同僚からとか。
詩織莉さんのお母さんもそうだったみたいだが、そういう世界の女性は893さんの金払いの良さに付けこんでいる。まあ、オレ達も水商売の女性をターゲットにしているのと同じだが。
そういう世界の人間が「男らしさ」にどれだけ重きを置いているかとか。
だから絶対に痛いハズの真珠を自分の息子に入れたりするのもそのせいらしい。男の象徴の大きさに拘って。
そういう組織のトップが「女」役をしていた過去が有るというのは致命的だ。
ユキの先程までの言動からも、組織のトップになる気は無さげなのは分かったのでそれはどうでも良い話し――詩織莉さんのように心に傷を負わないという前提が有るが――なのかもしれない。
「なるほど……。そんな事情が有ったのですね……」
ユキが淡々としているのはお母さんの性格を受け継いだのかも知れない。そしてお屋敷の中である意味浮世離れした生活を送って来たのかも知れない。
服の買い方とかを知らなかったのも今ではストンと納得する思いだった。
「その話をユキのお母様からの初めての電話で――番号は一応登録していたけれどもね――知らされた時には私も流石に焦ったわよ。あ、タバコ吸って良いかしら?」
詩織莉さんがタバコを吸っているところを見たことがない。ウチの店には清純派で売っている某人気アイドルがこっそり来ている。そのお客さんだって、店の中ではお酒もタバコも遠慮なく嗜んでいる。
ただ、吸いたくなる気持ちは痛いほど分かったので黙って客用の灰皿を出した。オレは吸わないので。
「有難う。滅多に吸わないのだけれど、流石に今日はね……」
詩織莉さんはバックの中から包装紙、いやパッケージが着いたままのタバコの箱と100円程度のライターを取り出している。
いつもゴージャスなモノを好む詩織莉さんとは思えないが、多分そこいらのコンビニで買ってしまったのかも知れない。
紅い唇から優雅に煙を吐くのも昔の映画の――今はヒロインがタバコを吸うシーンは脚本とか設定だかの段階でカットされるらしい――ワンシーンのようだったが。
「ふう。
ただね――ところでユキは、まだバスルームだわよね?」
詩織莉さんは初めて訪れたオレの部屋の間取りは当然知らない。
「そうみたいですね。女性の前でこんなことを言うのは失礼ですが、内部に出してしまったので、その後始末に手間取っているのではないかと――」
バスルームの扉を手で示しながら言った。
「そう――あのね――正直なことを言うと、リョウならユキの初めての相手として相応しいと思ったのよ。それは確かなのだけれど、ショーとはいえ初めての行為があんなに優しさとか慈しみに溢れた『そういう』行為を見ていたら、私もあんな風にして貰いたかったとか、初めての日のあの屈辱とかそういうマイナスの感情が一気に溢れてしまって……。
あんなふうに幸せそうな――ユキの表情を見たらその位分かったわ――「初めて」を体験したら、私の人生ももっと幸せなものになっただろうな、とか。
嬉しい気持ちも勿論あったけれど、それを上回るどす黒い何かをね……」
ああと思った。詩織莉さんがショーの最中に見せていた、どこか違和感を抱いたのはそういう感情と必死になって戦っていたのだろう、内心で。
演技の上手さにも定評がある詩織莉さんだが、その「演技」も出来ないほどの心の乱れが有ったのだろうと思うと、何だか痛々しさを覚えてしまった。
「そうですよね。それは分かるような気がします。
ユキはラッキーだったと思いますが、詩織莉さんがそのキューピット役をして下さったのです。
そして、同じような体験をした『悲しい』人をもう一人生み出さなかったのも尊敬に値します。
オレは、そんな詩織莉さんを素晴らしいと思います」
悲しみとか傷の連鎖。
それは普通周りを同じ場所にまで引き落とそうとする傾向にあるのもオレは経験で知っていた。
それをしなかった――連鎖を断ち切った――詩織莉さんは文句なしの女神様のようだった。
その時、バスルームの扉が開いた音がした。
詩織莉さんは女王様のような威厳と、天使のような慈愛の笑みを浮かべている。
そしてその唇から意外な言葉が紡がれて、驚きと共にストンと納得が行った。
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