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第36話

「ひろゆき君、少しは落ち着いた?」  ユキというのは源氏名だろうな……と思ってはいた。オレのリョウだって親から貰った名前とは全くかけ離れている。オレの店でも99%がそうで、本名を名乗る人間は少数派だった。  詩織莉さんが時々「ひ」と言いかけていたので、何故だろうかと思っていたがユキというのが本名の下だとしたら納得だ。  普通、源氏名は自分の好きな名前を勝手に付ける。  ただ、ユキの場合は「本番ショー」のために即席で作られたのだろう。流石に本名そのままではヤバ過ぎるけれど、あれが「見せしめ」というか組長にならせない目的が有ったみたいなので知っている人にはピンと来る源氏名にしたのだろう。  それに店にはユリさんとか「ゆ」から始まる源氏名が多かった。あの店の源氏名の付け方が「ゆ」から始まるという習慣も加わったのかも知れないが。 「栞お姉様。僕は大丈夫だよ。  リョウ、お風呂も凄いね。ウチの――と言ってももう帰ることはないだろうけど――家では檜のお風呂なんだ。なんだか、テレビで見た高級ホテルのお風呂みたいでビックリした」  ユキ、いや「ひろゆき」君は何だか恥ずかしそうな表情だったのは、照れも有ったに違いない。 「いや、この部屋を買った時に勝手に付いてきただけだ。それよりも『ひろゆき』が本名なのか?」  コクンと頷くユキはシャワー直後の瑞々しさも加わって朝露に濡れた白い胡蝶蘭に――といっても日本ではそういう機会もないだろうが――似ている。  そして薄い赤色も加わってとても綺麗だった。 「うん、太平洋の『洋』に、幸福の『幸』で洋幸っていうの。  あと、リョウは知っているかもだけど、シオリお姉さんの本名は本に挟む『栞』が本名だよ」  ユキ、いや洋幸は何だか恥ずかしそうな表情を浮かべて詩織莉さんの本名に話を取りあげたのは話題を広げている積もりだろう。  多分、ショーに関係する話題とか、そういう「恥ずかしい」&「下ネタ」系を避けるためだろう。 「そうよ。栞が本名よ。  そして、あの店はウチの――まあ、私は縁を切ったし、洋幸だってもう戻る積もりはないでしょう?――外郭団体が経営しているの。上手くそういう裏の繋がりを隠しているのだけれど。  ただ、ウチの組関係だってコトは知っている人は知っているわ。特に『そういう』世界の人間には、ね」  だからユキが「ああいう」コトを強いられたのだろう。 「ああ、なるほど。ただ、ユキ――いや、洋幸が貰った小切手も有りますし、上手く隠せているみたいですね……。ああ、洋幸は栞さんの隣に座ったらどうだ?そんなトコに突っ立ってないで」  羞恥の赤に染まった頬が初々しくてとても可愛い。ただ、やはり店のある意味異様な雰囲気の中ではそれに毒されていたのが抜けた雰囲気だった」  バスローブから覗く滑らかな素肌が初々しいピンクに染まっているのに、つい視線が行ってしまう。 「水で良いか?それともお茶?と言っても、皆外で買って来たものだけどな……」  ユキの屋敷ではきっと昔ながらのお茶の淹れ方とかしているのだろう。水はどうか知らないが。 「お茶って買えるモノなの?お茶の葉とお湯で作るモノだと思っていた。そういうお茶飲んでみたいな……」  ユキの世間知らずは知っていたものの、学校はどうしていたんだろうかと思ってしまう。 「ユキは父もお母様にも溺愛されて育ったから……。でも、これからは自立しないといけないけれどもね。ああ、奥様に『大丈夫だった』って電話した方が良いかと思うわ。  物凄く心配なさっていたわよ。  ほぼ無理やり屋敷から店に連れて行かれたのだから当然でしょうけれど」  詩織莉さんがスマホを渡している。そしてタップの仕方も丁寧に教えているのを見ていると、もしかしたら、スマホとか携帯も持っていないのかも知れない。  ユキの世間知らずというか浮世離れしている雰囲気からすればそれも当然かも知れない。 「電話してくるね……、これで良いんだね。『あ、洋幸です。お母様起きていますか?』」  ユキが恐る恐るという感じでスマホを耳に当てている。  ユキがお母様と心置きなく話せるように、書斎の扉を開けて細い腰を掴んで促した。  オレの顔を嬉しそうに見たユキの笑顔は年齢よりも――実年齢は聞いていないものの――幼くて可愛い。栞さんと似ているものの、幼い王女様と言った感じで愛くるしい。  書斎に――と言っても雑多な本が並んでいるだけだが――ペットボトルのお茶を持っていったら「大丈夫だよ。お母様。そんなに泣かないで……うん、ただ家には帰らない……本当に申し訳ないんだけど――大丈夫だって……」  何だか慰めている感じだったので、ドアをそっと閉めてリビングに戻った。 「洋幸のお母様はずっと心配なさっていたから……。それに、浮世離れしている方だからどうして良いか全く分からずに、取り乱しているだけといった感じね。  まあ、あの人のそういうところも好きなのだけれどもね」  タバコの煙を紅い唇から優雅に出していた栞さんは慈愛に満ちた女王様のような感じで言った。 「そうですね。そういう人だから詩織莉さんも力を貸す気になったのでしょう?それにユキも」  詩織莉さんは確かに行動力も決断力も有る女性だ。 「そうね……。それは確かだわ。  ああ、あのメガバンクの小切手を出すことが出来たのはね……」  つまり当座預金口座を持てるということだ。ちなみに893関係は即座に凍結しないといけないとか聞いたことがある。詩織莉さんは細い肩を優雅に竦めて「ここだけの話し」っぽい感じで切り出した。

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