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第55話
「まぁ、そうね……。部下のサポート役に付いて来た上司に見えるかもね。ま、銀行員に女のボスはあまり居ないでしょうけど、コレでね」
オレの目に間違いがなければポールスチュアートのスーツ姿が物凄く似合っている。そしえそのジャケットのピンホールには誰でも知っている緑色の独特なマークとSMBCと書いてある社員章のバッチがさり気なく光っている。それを薄いピンク色のジェルネイルが指差している。詩織莉さんとかの芸能人と違ってその薄い桜色が許容範囲なのかも知れない。
オレもそういうモノを用意しておけば良かったなと思いながら、愛想笑いには絶対に見えない自信のある笑みを浮かべた。ただ、どこで買えば良いのかとかは知らないが。
「オレも銀行員に見えますかね?恭子さんの部下って相当優秀なんでしょう?」
そのメガバンクに入社だか入行だかの大学ランキングが経済誌に載っていた。銀座の老舗クラブなどのホステスさんも同様だが、人事情報を先に入手するのはオレの店では鉄則だ。
まあ、オレの場合は恭子さんみたいなビジネスウーマンも居れば詩織莉さんを始めとする芸能界でも売れている人もお客様なので、映画の賞とかもこまめにチェックはしている。
人間誰しも自分のことを気にしてくれていたと分かれば良い気持ちがするので。
そこには間違っても高千穂商科大学の名前はなかった。東大とか早慶とかそういう誰でも知っている大学しか採用しないらしい。
「まあ、髪の毛が真っ黒じゃない点だけが引っ掛かるかもしれないわね。基本ウチでは地毛が茶色でも黒く染めるのが普通だから。
で、そのスーツは新人君が親の就職祝いのスーツじゃなくて自分で買ったって感じよね。アオヤ○かしら?
アルマーニが物凄く似合うリョウにしては一体どうしたの?
今月のノルマがきついのかしら?」
アオ○マだと見抜かれたのは流石だった。確かに、ポールスチュアートのスーツを完璧に着こなしたバリキャリ――しかもメガバンクの行員章が誰だって知っているマークだからこそスーツもよりいっそう決まっている。
アオヤ○が悪いとも思わないし、アルマーニはいわばホストの制服なので着ているだけで、本当はユキが昨夜選んでいたGUとかの方がオレ的には好きだ。
まあ、あれは若者が着る服という感じなのでオレの歳では痛いだけかも知れないが。
「いえ、今日は店外デートではなくてですね……」
恭子さんは驚いたようにオレの顔を見上げた。
「え?そうなの?同伴かと思ってたのだけれど。ナンバー1の座が危ないとかで。
あ、リョウに限ってそれはないか。もうすぐ役職に上がるってウワサだし……。やだ、私ったら早とちりしてしまったわ」
推しホストが同じだと女性同士が仲が悪いという場合も有るが、オレは幸いお客さんに恵まれているからか「一緒に応援しよう」という雰囲気が生まれている。そしてお客さん同士が仲良く一緒に呑んでヘルプと話しながらオレの登場を待つというのも毎晩のように繰り広げられている。
それに昨夜の詩織莉さんのように「リョウ推しだったら奢っても良いわよ」と大盤振る舞いしてくれるお客さんもたまにはいるし。
そういうプラスの相乗効果で知らない女性同士が仲良くなって、オレに関するウワサは店に来れば拾える。
だから恭子さんもそういうルートで知っていたのだなと思った。
確かに早とちりだなとも。同伴の場合は夕食をどこかで奢って貰った上で店に一緒に入ることを言う。もちろんそのお金の一部は店に入るので同伴してくれる客は特別扱いされる、一晩だけだが。
ただ、午後二時に待ち合わせをしてとか――まあ、芸能人とかでたまたまオフだったとかそういう理由だったらアリだ――銀行にお勤めだと分かっている恭子さんに同伴を願うなんてことはしない。
そんなのは考えれば直ぐに分かるだろうが。
「いえ、今日は同伴とかではなくて恭子さんにしか出来ない話をしたいと思って来ました。
もちろん、食事代は奢りますので、静かな雰囲気のお店は有りませんか?
出来れば、恭子さんの同僚とか同業者の居ないところで……」
ユキの実家はいわゆる反社だ。そして昨日の店もまだ警察にもバレてはいないだけで、そっち系の客が多い感じがした。
ユキの二億円の小切手を、言葉は悪いがマネーロンダリングする知恵を現職の銀行員が授けたらマズいことくらいは分かる。
だから、恭子さんの銀行だけでなく、同業の人も居ない店を希望した。
「え?リョウが奢ってくれるの?ライン貰って直ぐに口座からお金を下ろしてしまったし、その上、ボードには『直帰』って書いて来ちゃったわ」
オレの職業では女性が払うことは有っても逆はない。
まあ、オレの客層ではないものの、水関係の仕事をしている「常連客」のお店に行って豪快に遊んで客を呼び込むとかの作戦を取る人もいるが。
「店に来て頂けたら嬉しいですが、店ではこの話は内緒ということで……」
黒板に「今日のお勧め」がチョークで書いてあるようなこじんまりとした瀟洒なイタリアンの店の席に座って、ハーフワインで乾杯した。
オレも今日は車ではないのでその点気は楽だ。地味なスーツをと思いついてアオヤ○に行こうとして、ハタと気付いた。
フェラーリでそんな――と言っては失礼だが――店に乗り付ける客が居るかどうかと言う点を。
だから久しぶりの電車に乗って来たのだが。
「で、話って何かしら?私で分かることかな?」
鯛のカルパッチョを薄紅色の口紅を塗った口に運びながら恭子さんが本題を切り出した。
店内にはランチを楽しむマダムという雰囲気の人しか居なかったので大丈夫だろう。
思い切って口を開いた。
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