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第58話

「話は逸れてしまうんですけど、オレの名前がリストに載っていないって良く分かりましたね?」  恭子さんは、ワイングラスをくるくると回しながら悪戯っぽく笑った。 「実はね、リョウの本名教えて貰ったことが有ったでしょ?次の日に何となく確かめちゃった……。  専用のPCが有るのよね、ネットに繋ぐと漏洩とかのリスクが有るので。  他のお客様を調べていて、ツイツイ……」  些細なイタズラがバレた子供のように笑う恭子さんはバリバリのキャリアウーマンでもなければウチの店に来てくれる――ある意味、店は「女の戦い」でもある。しかもその武器はお金だ――緊張感もなくて年よりも幼く見えて却って新鮮だった。どんな手間が掛かるか具体的には分からないが、わざわざオレの名前を入力して調べる気になったのは、オレのことが気になっていたせいで、悪い気はしない。ま、オレが反社に入っていないからこんなに気楽なのかも知れないが。 「ああ、なるほど。オレ名義で口座を開くってのは良い案だとは思いますが、それってそのお金をオレが勝手に使っても何ら問題はないですよね?」  ユキが文字通り身体を張ったお金なので、そんなことをする気は毛頭ないが、つい気になって聞いてしまった。 「だから、その恋人さんがリョウのことをどれだけ信用してるか聞いたのよ。  『信用していない』とかキッパリ言われちゃうと、私だって他の手段を考えたわ」  そういう意図が有っての質問だったのだな……と今更ながら思い至った。 「で、もう一点なんだけれど、預金って銀行が破綻しちゃったら、一千万円までは絶対に返ってくるんだけど、それ以上はないことにされてしまうのよね……。二億でしょ?だったら1億9千万が無くなっちゃうのって痛いと思うのだけれど?」  そう言えばビジネス誌にも――ウチのお客さんが「エステ界の風雲児」として特集されていたので買って読んだヤツだった――そんな記事が有ったような気がする。 「それは確かに厳しいですね……」  一千万円しか保証されないというのは何だか物凄く心許ないような気がする。  オレだったらまだ稼げるから良いものの。ナンバー1の座を誰かに奪われることは有ったとしても、役職に就いているだけで――まあ、その分経営者としての仕事とかキャストの叱責とか店の人間関係の雰囲気を良くするとか色々な雑務も出て来るとは聞いている――その分のお金は入ってくるらしい。  それに今の段階ではブッチギリのナンバー1だし、脅威になりそうな人間もいない。  この世界に身を置いて「あ、この人は伸びそうだな」とかは分かるようになっていた。  ただ、そういう人間でも他の店に引き抜かれたり、女性絡みで警察沙汰になったりでウチの店からは消えて行ったが。 「そうなのよね。  ほら、持っている人は持っているでしょ?そういう層のお客さんは外国の銀行に預けっちゃったりするのよね……」  外国の銀行……。オレが知っているのは昔読んだマンガで「報酬はスイス銀行へ」とか言っている暗殺とかのプロが居た。まあ、フィクションの世界だとは分かっているが、独裁者とか大統領を暗殺すると物凄い金額を貰えるらしい。  ただ、スイスとかの銀行は――あくまでオレの勝手な想像だが――英語とかが堪能でなければならないと思う。  高校や大学の時にもっと英語を勉強しておけば良かったなとシミジミ思った。 「そのリスクの説明しなきゃならない決まりでね。  ウチの銀行に入れて貰ったらすごく助かるけど。分散も有りだと思うわ」  ウチのお店だって、他のホストクラブに行って欲しくないというのが本心だ。しかし、お客さんの意思が最優先されるし、店を移った「見込みの有りそうな」ホストに付いて他店の常連になっているお客さんも多数いるとウワサで聞いた。  そういうジレンマというか「言いにくいこと」を説明する件で恭子さんは言いよどんだのだろう。 「あのう、銀行が破綻するのって滅多にないですよね。  今は少しとはいえ、景気が回復しているし、恭子さんの銀行がヤバいとか聞いたことも読んだこともないのですが?」  2億円の預金というのは多分恭子さんの成績にも貢献するハズだ。詳しくは分からないものの。だから詳しく教えてくれた上にウチの店にもお金の許す限りは通ってきてくれているので恭子さんに恩返しがしたい気持ちも有った。  ユキが一番大切な恋人なのは確かだったが。 「大丈夫だと思うし、今のところは優良顧客ばっかりよ? ――それにね、ウチが破綻しそうになったら、こっそり教えるという約束でどう?」  内部情報まで流してくれるらしい。だったら迷うまでもないだろう。 「オレの恋人に一応聞いてみますが、多分お願いすることになると思います」  ユキは今頃何をしているのだろうか?昨夜の疲れが溜まっているので寝ているだろうか?  あの古風で端整な顔が、寝顔になると物凄く可愛くなることを朝方知った。  白い胡蝶蘭のような顔が微笑んでいるのを見たいなと切実に想ってしまった。  ただ、もしかしたらもう起きているかも知れないが。  そうだったら、出勤前のまったりとした時間を過ごしたい。

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