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第65話
まあ、何も知らない支店長は当たり前だが、ある程度知っている恭子さんも場馴れしているような感じだったし、普段は子供っぽいのにこういう時には物凄く落ち着いているユキなのは却って好ましかったが。
そして、オレの目の前に恭しく差し出された通帳の残高のゼロの多さに内心安堵のため息を零してしまった。
名義人がオレなので、優先されたのだろうか。ユキにその通帳を見せると白い胡蝶蘭の趣きが薄紅色に変わったような感じだった。
まあ最悪の場合はオレが生活費の一切を援助する気持ちは有った。そしてその程度は楽々と出来る程度の収入もある。しかし、ユキの性格ではそのことに罪悪感を抱くであろうことも容易に知れたので、こうして事実上ユキの口座にユキが文字通りに身体を張って稼いだお金を入れておく方が良いに決まっている。
「有難うございます。では利息の方の連絡をお待ちしています」
支店長の視線がチラッと時計の方に動いたので潮時と判断した。
オレもそうだが、時計というのは目に入る「名刺」のようなものだったから、つい視線を当ててしまったら国産のそこそこの値段の時計で、オレの住んでいる世界とは違うんだなとフト思ってしまった。
ただ、ユキも違った意味で住んでいた世界が違う。それをオレと暮らして行く中で「普通」に戻していかなければならないのだろう。
「いえいえ、ではこれからも宜しくお願い致します」
その挨拶と共に支店長と恭子さんに見送られて窓口の方へ向かった。
女子行員とかの視線の好意的な集中砲火を浴びる中で――オレは慣れていたが、ユキの方は特に何も感じていない様子だった――それぞれに会釈をしながら銀行を出た。
「これ、ユキのだから」
車に乗り込むと通帳とカードを渡した。
「何だかシンが緊張してたみたいだけど、どうして?」
可憐な感じで細い首を傾げる様子も物凄く可愛い。
「いや、あのお店の口座が凍結されていないという保障はないだろう?最近は割と簡単に預金口座が凍結出来るみたいだから。
そうだったら、当然その中のお金は動かせないので二億円が絵に描いた餅状態というかあの小切手自体が紙切れ同然になる。
オレは別にユキの生活費とか大学代程度なら全然何ともないが、それだとユキが嫌がるかなと思っていた。だからオレ名義だけれども、こうして印鑑も通帳もカードもユキの手元に置いた方が良いかなと思って」
ユキも嬉しそうに通帳ではなくてオレの方を見て薄紅色の胡蝶蘭のような感じで微笑んでくれた。
「有難う。そう言ってくれるシンの気持ちの方がとっても嬉しい。ただ、僕がこれを自由に使っていいんだね?
あとは携帯屋さんに行くんでしょう?
僕は今のところニートみたいなものだから良いけど、シンの出勤時間大丈夫なのかな?」
ユキの気遣いの方が嬉しかった。
「うーん、ギリ間に合うかどうかってトコだな……。ショップの込み具合にもよるだろうが」
オレのウブロの時計を見ながらそう言うと、ユキは真剣な表情に戻っている。ユキの良いところはそうやって相手のことを常に尊重するところだ。
「それなら、別の日でも良いよ?僕の場合は特に急ぐものでもないし、お仕事を優先させなきゃね……」
いや、ユキにスマホを渡す方が今のオレには優先順位が高い。何故ならオレが居ない時間帯とか大学に復学(?)だかした場合に即座に連絡を取りたかったので。別にユキを信頼していないからとかではなくて、ユリという人間の存在がチクチクと刺さるトゲというか、オレの下っ端時代にトイレ掃除とかで出来てしまった。ささくれのように気になってしまっている。
ユキは何とも思っていないようだったし、杞憂かも知れないが。
ただ、オレの予感というか人間観察は割と当たる。新人時代にキャッチと呼ばれるいわゆる店外での顧客呼び込みをしていた時期とかにも他の同僚が声を掛けなかったジョギング中の素顔で髪も後ろで束ねているだけの中年の女性に、金持ちの匂いを感じて声掛けしたこともある。案の定、新宿にお屋敷を持つ実業家だった。当時のオレには屋敷に連れて行かれて仰天するほどの物凄い家だったし、化粧をして出て来た彼女はさり気ない恰好ではあったもののふんだんにお金が使われていた。
そういう経験を積んで来たからだろうか。やはりユキには緊急連絡用にもなるスマホを持たせておかないと安心出来ない。
「いや、少々なら大丈夫だと思う。早くユキもスマホを持って詩織莉さんとかとも繋がっていた方が安心だし……。もちろん、オレも物凄くユキとは連絡も取りたいし。
ほら、生活時間帯がやっぱり異なってしまうだろう?ユキが大学に戻るなら。
だから何をしているのかとか、そういうのをマメに連絡し合いたい」
切実な声でそう言うとユキが花のような綺麗な笑みを浮かべてくれた。
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