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第66話

「そういうのって良いね……。ほらウチはお母様と一緒に暮らしていて――と言っても身の回りのことは使用人がしてくれていたけど――電話とかラインとかで連絡を取る必要性がなかったんだもん。  だから、ドラマで観たり、ネットで流れたりする『恋人同士』ってそうやって連絡取るみたいだよね。既読って言うんだっけ?そのドラマでは『既読スルー続いて心配!』とか言っていたけど、良く分かんなかった……」  ユキの生育歴とか特殊な環境だとそうなんだろうなとは思う。お父さんが跡目候補として外に連れ出す時も有ったようだが、それほど頻繁だったとは思えない。 「あ、あそこにAユーのショップが有るよ?あれって携帯屋さんでしょ?」  ユキはオレの出勤時間を気にしてくれているのか、そう言ってくれた。 「出来れば、家族割に――本当はカップル割引の方が良いんだが、オレの名義で契約するのでそれは無理だな……。あれは全然別の住所とかが必要だから――したいのだが?」  そう言うとユキの顔が朝日を浴びた白い胡蝶蘭のような綺麗な笑みを浮かべている。  運転中なので助手席をガン見出来ないのが残念だ。 「そうなんだ。うん、僕もそっちの方が嬉しいな。そういう割引とかも有るんだ。  何か本当に家族になったみたいで……。恋人割引とかそういうモノが有るってことはテレビのコマーシャルで見たことはあるけど、別世界のモノだって思ってたし。  だって、家にずっといる僕には恋人なんて作れないというか、作ろうと思ったこともないんだけど……。  シンがそう言ってくれてとっても嬉しい。こんな素敵な恋人が居て、そして二人で住めるなんて最高な気分だよ。本当に有難う」  ユキの声も妖精がダンスをしているような感じの無邪気さと無垢な綺麗さに溢れていた。  割引に拘るわけではないが――そもそも携帯代金なんてそんなに高いモノでもないし、新人時代ならともかく今の自分には――そういう「繋がり」というか「恋人」として携帯会社に登録して貰えるだけで嬉しい。  オレにそんな乙女チックな気分が有ったとはユキに出会うまで知らなかった。  何だか店のお客さんがプレゼントを下さった時に「実はお揃いなんだ。ほら、これ」とか言ってヴィトンとかのバックを見せて貰ったことは有るものの、お揃いのモノに拘るという気持ちが全く分からなかった。勿論そんなことはおくびにも出さなかったが。 「ユキはさ、お父さんに色々なお店に連れて行って貰ったこと有るんだろう?  今日は無理かも知れないが、散歩がてらのデートとかのプランを立てたいので」  ユキも何だか露を宿した薄紅色の胡蝶蘭の趣きで笑みを浮かべてくれている。 「月に3回とかそういう頻度で屋敷の外には出ていたよ。老舗料亭とかで色々な業種のお偉いさんと会ったり、他の組の組長とかと会食したり。  そういう時ってやっぱりお店はね、ほら昨日のショーの会場のような感じの料亭ってことが多かったかな?二次会でキャバクラとか銀座の知る人ぞ知るみたいなクラブとか。  でもなんで?」  ユキは「昨日のショー」という言葉も何の屈託もないようなので本当に良かったと思う。  詩織莉さんは「初めて」の体験がトラウマになってしまったようで、それをずーっと引き摺っていたようだが、ユキは違うのだなと微笑ましい気持ちになって来る。  しなやかな強さがユキの精神にはあるのだろう、多分。 「いや、大学生らしいデートとかした方が良いんじゃないかと思って。  自慢するわけではなくて事実なんだが歌舞伎町でオレがココイチとか吉野家なんかに入ってはならないんだ。  お客様関係とか同業者の誰かに見られたら思いっきりバカにされるのが目に見えているから。  だからお客さんとか同業者の居ないところを選んで、ユキとそういう所に行ってみたい。散歩のついでに」  ユキが切れ長の目を見開いてオレの顔をマジマジと見ている。 「そうなんだ……。ココイチってカレー屋さんだっけ?吉野家は牛丼だったよね、確か。  何でそういう店に行けないの?」  ユキも行ったことがないらしい。 「低価格帯で売っているお店なので、全身で何千万のモノを身に付けた人間が行くのも憚れられるし、その上『庶民的』なお店は女性に夢を売る仕事なんで行けないんだ」  数千万円はウブロの時計とかそういう名刺代わりの時計などが価格帯を吊り上げているが、それでもアルマーニの新作とかを着ていると入り辛いのも事実だった。 「そうなんだ……。僕も吉野家とか松屋とかCMで見て、行ってみたいなと思っていたので大歓迎だよ」  目指していた携帯会社の駐車場に車を停めた。  店内にはお客さんは居ないのもラッキーだったが、多分オフィス街に有るからだろう。普通のサラリーマンとかOLさんはまだ仕事中の時間だ。 「ラインとかをするならアイフォンの方が良いだろうな」  ユキが本当に珍しそうに色々並んだ携帯電話とかスマホを見回している。 「そういうのは全部シンに任せるよ。僕は本当に何も分からないし……」  初めて動物園とか遊園地に来た子供のような感じのあどけない視線と艶めくような笑みを浮かべているユキの顔を今度はじっくり堪能出来たので良しとしよう。 「これって、シンとお揃いなの?」  オレがショップの人と契約してその後の説明とかを聞いている間中、ユキはオレに断ってアイパッドだとかガラケーを見て回っていた。特にアイパッドは物凄くお気に召したらしく、画面をタップしたりスワイプしたりと色々なことをしていたのはそっと後ろを振り向いていたので知っていた。 「ああ、お揃いの方が良いかと思って。あ、ヤバい。そろそろ出ないと出勤時間に間に合わなくなる可能性が有る。  ユキ、これタクシー代だから、これでウチに帰ってくれ。キーはこれだ」  多めの札とキーを渡した。  今まではオレしかあの部屋のドアを開ける人間は居なかったし、仕事から帰ってもあの綺麗だが「家庭の温かさ」がないマンションに、今夜からユキが居てくれて、そしてオレを出迎えてくれるのかと思うと嬉しかった。  そしてユキが席を外したのを良いことに、ショップのスタッフに一番聞きたかったこととか操作方法を聞けたのでラッキーだったし。 「うん、分かった。  お茶漬けと雑炊どっちが好き?」  どうやらユキは夜食まで準備してくれるらしい。 「どちらも好きだが、手間の掛からない方で良いから」

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