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第71話
「それは良かったわ。まあ、あの店そのものが『未だ』目を付けられてないので大丈夫だし、頭取とか財務省関係も忖度するでしょうから……。
でも、私を含めて芸能人のスキャンダルなんて出れば一瞬でそれまでの信用が吹き飛ぶでしょう?
それは財界とか政界も同じなので、さっさと現金化して正解だったと思うわ。
それはそうと、洋幸は元気かしら?
あの感じではそんなにショックを受けている感じでもなかったのだけれど?」
ロマネをすいっと水のように呑みながら詩織莉さんは心配そうだった。
ユキに対して思う所は有ったようだが、やはり可愛い弟なのだろう、半分しか血は繋がっていないが。
「ええ、元気ですよ。今日は小切手をオレ名義の口座に入れるように恭子さんの銀行へと行ったのですが、二億円といえば纏まった金額ですよね。それに利息を付けるように頑張って交渉していました」
詩織莉さんは心の底から晴れ晴れとしたような笑みを零している。
紅いルージュと白い歯がとても綺麗だった。そして何よりユキと似ているので尚更に。
「あの子はぼんやりとしているようでいて、押さえるべき要所では腹の据わった交渉をするって内部では有名だったの」
ユキの賢明さも大好きだったが、元々そういう性格らしい。
「あと、携帯ショップに行ってスマホを購入しました。番号は、えと……080の今日はこんな感じですかね……。
それと、オレの働いている所が見たいとかで、この店の駐車場まで一緒に来ました。
アキラってご存知ですよね?彼が『癒し系ホスト』に向いているんじゃないかと物凄く感心していましたよ……」
オレが言った番号を詩織莉さんも自分のスマホに入力している。
ユキは今頃どうしているかな?と恋しく思ってしまった。まあ、今夜の仕事が終われば会えるのだが。
「アキラ君ね、そう、そんなに褒めてくれたの?
ユキはホストに向いていないと思っていたのだけれど、確かに癒し系だと行けるかもしれないわね……。ただ、学業と大学生活に――私はどちらも無理だったけれど――専念して欲しいので、このお店にも誘わないでね。
ああ、アキラ君の席に同じお酒を三本持って行って頂戴。私からだと言って。御礼なんて要らないとも。
私はリョウと二人っきりで話したいので」
ロマネの90年は当たり年なので強気の値段設定になっている。しかも、そこいらの百貨店のお酒コーナーでも良い値段が付いているが、ウチでは更に強気過ぎるほどの値段だ。
ユキを褒めたくらいでそんなに嬉しいのかと微笑ましく思ってしまう。
アキラのボックスに二人の客が騒いでいるのはオレも当然把握していた。そのグループにロマネを振る舞う積もりなのだろう。
アキラの場合、ノリの良さと面白さが売りなので、客層は若い女性が多い。殆んどが水商売の女性なので、そんなに難しい話しもしなくて済む。
「こちらで宜しいですか?詩織莉様からというコトでお届け致せば良いのですよね。そして御礼は無用と……」
ホストではなくてフロアスタッフが確認しに来た。
普通、自分の客が他のホストにお酒を振る舞うという事態は避けないといけない。
というのは店の中で「お気に入り」のホストは一人だけという決まりが有る。
だから、詩織莉さんが良いと言ってもオレの表情を確認しに来たという感じだった。
「女王様の仰せの通りにしてやってくれ。別に指名を取り換えたりはしませんと約束して頂ければ幸いです」
詩織莉さんの白くて綺麗な手に大きなルビーをメインにあしらった――多分ハリー・ウィストンと思しき――二カラットは優に超えている指輪を付けた手の甲にキスを落とした。
昔観た映画の中で騎士が女王様だか王妃様だかにしていたようなヤだツ。
「やだ、指名は変えないわよ。アキラ君のノリは落ち込んでいる時には良いけど、それ以外は騒がしいだけですもの」
そう言えば詩織莉さんが落ち込んでいるところなどは見たことがない。常に女王様然として振る舞っているんで。
ただ、アキラが新人時代にオレのヘルプに付いたことが有って、その時詩織莉さんとも呑んでいた記憶がある。
「ロマネっ!!あざーず!!これってリョウさんの売り上げになるんですよね、やっぱり……。オレの売り上げになったらもっと嬉しいっすが、あのキャバ嬢達も物凄く喜んでいるんで、マジでサンキューっす!!ガチ嬉しい」
アキラは御礼を言わなければならないと思ってわざわざ詩織莉さんのボックスに来たのだろう。
確かに、こんなノリの良すぎるホストと――ただ、出勤前と思しきキャバ嬢などはこういう明るすぎる雰囲気でテンションを上げて勤めているお店に行く気持ちは分からなくもない――詩織莉さんは合わないのも尤もだと思った。
二階部分の最上の席に座っている詩織莉さんとオレは店内を一望することが出来る。
その席に案内されるのはVIPの証しだし、しかも優美な曲線を描く螺旋階段を上らなくてはならないのが難点といえば難点だ。
「あら、恭子さんだわ。こちらの席にお呼びしても良いかしら?」
ドアの前で決まりの挨拶に迎えられている女性を見た詩織莉さんが言った。
「はい。もちろん。恭子さんにも現金化に当たってアドバイス頂いたので、オレからもお願いしたいくらいでした……」
パーティに行っても通用するのではないかと思う詩織莉さんのドレス姿とは対照的に恭子さんは通勤帰りの服だった。まあ、そういう色々な服が混在しているのがこの店なので見慣れてしまった風景でもある。
「恭子さんもこちらにエスコートして来てくれ」
普段ならヘルプのホストも付くが、今日はユキの話題なだけにそういうのは遠ざけている。だからホールのスタッフにそう声をかけた。
オレのスーツのポケットのスマホの振動を感じながら。
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