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第80話

「そんなリスト、良く個人用のパソコンに入っていたわね……」  恭子さんの魔法のように動いていた指が止まったのを見た詩織莉さんが感心したように言った。  オレが画面を覗き込むと、PCの中央画面がクルクルと回っている。  多分「しばらくお待ちください」的なモノだろう。 「本当は銀行から持ち出したらダメなんです。それをこっそりとUSBメモリにコピーして持って帰っちゃいました。  口外は絶対しないようにお願いします。こんなのがバレてクビになったら、このお店にも通えなくなっちゃいますし……」  詩織莉さんがPCについて割と詳しいのだろうが、彼女の場合はそれほど私用で使う――ああ、そういえば映画で株式乗っ取りを救う赤字まみれの会社の令嬢役を演じていたなと思い至った。最近の映画はその道のプロが監修として入ることも多いと聞いている。だからその時にでもレクチャーしてもらったのだろう、多分――感じではないので。 「絶対口外はしないわ。リョウ推しの同志としても、そして洋幸――私たちはユキと呼んでいるのだけれど、特にリョウは、ね」  画面がクルクルと回っているので、その時間は待機するしかない。  詩織莉さんがそんなことを言い出したのもちょっとしたブレイクタイムの積りだろう。  そして、マッチ棒が5本くらい載るのではないかと思われる長い睫毛をウインクの形に動かしている。その様子も扇のように綺麗なのはもちろんだったが、ユキも3本くらいは余裕で載る睫毛をしていたな……と焦る気持ちを抑えて考えていた。  高校時代にやんちゃをしていたことはユキに言った通りだが、柔道部の試合に頼み込まれて出たこともある。  全国大会の時には主将に「試合前は緊張を解せ」と言われたことを思い出したし。ま、名前だけ名簿に載っている幽霊部員だったが、体を動かすのは好きだし得意だとも思っている。 「有難うございます。これに懲りずに楽しみに来てくだされば幸いです」  指名してくれるお客様あっての仕事なので、営業努力とか売り込みは欠かせない。  ジリジリと胸を焦がす焦燥感に耐えながら強いて笑顔を浮かべた。 「銀行をクビにならなかったら来るわ。  それにユキ君も可愛くていい子だもんね。リョウが大切に大切にしたい気持ちも分かるし、この件に協力して無事にユキ君が帰ってきたら詩織莉さん、住宅、いえ邸宅のローンを前向きにご検討下さればと思います」  一石二鳥どころか三鳥を狙っている恭子さんだったが、ユキを案じるような表情を浮かべているので不快感は全くなかった。女性の出世が難しいとウワサされている体育会系なメガバンクで課長まで出世しただけのことはあるな……とも思った。 「えええ、それは約束するわ」  詩織莉さんが赤い唇から優雅な感じでタバコの煙を空気に混じらせている。店に飾られているカサブランカの芳香とか、仄かに香る詩織莉さんの香水に――エルメスのローズイケバナだろう――混じって溶けていくタバコの煙を見てそのまま店内へと視線を投じた。  どうせ、PCはまだデータを出していないし、画面のクルクルが終われば恭子さんが教えてくれるだろうから。  二階の特等席から見下ろすと詩織莉さんがこの店に今来てくださっているお客様全員に振舞ったルイ・ロデレール・クリスタルのせいか、普段以上に皆が楽しそうだった。  しかし、先ほどは全く空気を読まない雰囲気だったスタッフが珍しく機転を利かせてくれたのだろう。ホストクラブにありがちなどんちゃん騒ぎというか乱痴気騒ぎには至ってない。  流石に緊急事態が発生しているのだということは分かった上で、他のホストにも耳打ちしてくれたのだろう。 「もう私は完全に縁を切っている積りなのだけれど、毎月の生活費として仕送りがあるのよね、私の口座に。そのお金を三〇住友銀行にそっくりそのまま移してもいいわよ。  それに、そのお金は使わずにそのまま置いておいて、ローンって組むことが出来るのかしら?白金とか南麻布、成城などが良いわね。物件探しとかも相談に乗って頂けるのかしら?」  それは不動産屋の仕事なのではないかと思ってしまったが、それは口に出さない。 「オレは東村山市でお願いします。38階建てのタワーマンションの最上階が希望です」  別に東村山市を差別するつもりはなくて、なんとなく僻地といったイメージがある。そんな場所に38階建てのタワーマンションが――詩織莉さんも話の流れからタワーマンション希望のようだったので、それに乗っかった感じの冗談だ――あるとは思えないし、ユキの居るマンションの居心地の良さを知ってしまった以上は引っ越す積りも毛頭ない。たった一晩一緒に過ごしただけなのに、ユキがいないマンションは無機的な寒々しさを感じるようになっていた。 「はい、最近は銀行業務も多様化しているので、ご要望にお応え出来るかと思い……」  恭子さんが言葉を切ったのは、画面上の地図が赤や緑など6色の色がポツンポツンと並んでいたからだった。 「あのう、もう一度、組の名前をお願いします。この画面では色で組織分布図を区別しているので」  恭子さんがごく小さなキーボードを操作しながら質問している。  893が多いのは知ってはいたが、こんなに狭い場所に6団体も拠点だかフロント企業を構えているとは驚きだった。 「皇国坂本組よ。この画面だと赤色になるわね」  ホストクラブという性質上、三人が横に並んで座っているので、詩織莉さんも画面を見ることが出来る。 「赤ですか……」  恭子さんの声に緊張の色が混ざった、赤は危険なのだろうか?

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