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第85話
「何だかこんな格好で宝塚大劇場のような大きな階段を下りて行くのは相応しくないような気がするんだけれども。
詩織莉さんは慣れていらっしゃるから良いでしょうが、私は少し恥ずかしいかと……。それに、通勤着で、ドレスでもないので……」
ウチの店はフランス風の絢爛豪華さがウリだったので――と言っても本当にベルサイユ宮殿に宝塚の大劇場のような階段が有るかどうかは知らない――確かに二階のVIP席から颯爽と下りて行くには勇気が必要なのかもしれない。しかも赤いペルシャ絨毯が敷かれているという仰々しさなので、確かに恭子さんの通勤着――といってもかっちりとしたスーツだしブランドは多分「23区」で――出来る女の象徴みたいな感じだった。
体育会系メガバンクとしても有名な銀行なので――と言ってもどの辺りが体育会系なのかサッパリ分からないのも事実だった――海外のブランドではなくて、敢えて国内のブランドを選んでいるのかも知れない。
レッドカーペットと言えば聞こえが良いが、詩織莉さんがカメラのフラッシュが焚かれる中で颯爽と歩む「本物」でもない。
ただ、VIP席から下りて行くという動作を店の皆が見ているのは確かだった。
しかも今夜は詩織莉さんの奢りで滅多に呑めないシャンパンがお客さんとスタッフに振る舞われている。
その御礼にスタッフからは拍手――本来ならば「有難う御座います」コールが飛ぶ事態だが空気を読むことに長けた同僚たちはタダならない切羽詰まった雰囲気を感じ取っているようだった。
女性達も憧憬とか称賛の眼差しでオレを含む三人をずっと視線が追っている。
「いえ、そんなことはないですよ。
詩織莉さんがドレス姿なのは職業上からも華やかにしないといけないからで……。
まあ、人気商売ですし、色々と大変だとは思いますが……。
ただ、恭子さんだって、お仕事も物凄く頑張っていらっしゃいますし、輝いているのは分かります。それに学生時代に一生懸命頑張って勉強と部活に両立をしたわけでしょう?
だからこそ、大企業の正社員になれたのだと思っています。
オレなんて、高千穂商科大学というバカしか居ない上に田舎の大学しか出てないですし、努力の質が違います。
彼女達は正社員なんてなれないから、恭子さんを憧れの目で見ているんです。
ま、詩織莉さんにも絶対になれないでしょうが……。
ただ、その方向性が全く違うってだけではないですか?」
そんなことを言いながらも足がついつい速くなるのを努めて抑えた。
皆が見ているのに、この階段で転倒という事態だけは避けたかったので。
詩織莉さんも優雅かつ華やかな笑みを浮かべて恭子さんの方を見ている。
内心はユキの安否を気遣って気が気でないだろうが、その焦りとか心配の表情を全く表に出していないところが流石だった。
ユキもそうだが、度胸が据わっているというか、土壇場の時に冷静になるというのが素晴らしいと思う。
しかし、ユキは今どんな思いをしているかと思うと――オレも表情には出していない積もりだったが――出来ることなら空でも飛んで行きたい思いだった。
「そうよ。私なんて高校しか出ていないので、お宅の銀行に採用枠は確か有ったと思うけれど、窓口業務しか出来ないもの。
それに恭子さんのお洋服は『スーツは女の戦闘服』って感じでとてもカッコ良いわよ。
それに、合気道と勉学、そして社会に出たらお仕事に打ち込んでいらして課長職でしょ?
素晴らしいと思うのだけれど」
詩織莉さんも華やかに笑っている。
両手に花という状態ではあったが、そんなことよりも気持ちはパークハイアッ〇に飛んでいるのは仕方ないだろう。
「新宿のパ〇クハイアットまで、出来るだけ急いで頂戴!!」
ベンツのリムジンという女優にしか許されないような車に乗り込んだ瞬間に詩織莉さんは宣戦布告をする女王様といった感じで運転手に命じている。
「承りました。あのう、水沢さんからこれをお預かりして参りました」
多分、札束が入っているのだろう、分厚い封筒を手袋を嵌めた手が恭しく差し出された。
「ユキを『主役』として、昨夜のようなことをしようとしているのなら、少しは時間が有るかと思うわ。
あ、ウーロン茶とミネラルウオーターどちらが良いかしら?」
車内に備え付けられた冷蔵庫――と言うのかどうかは知らないが――を詩織莉さんが自ら開けてくれた。
何だか自動車と言っても、何だか豪華なカラオケボックスの個室のような感じだった。ちなみに、運転手との間には仕切りが有って、声は聞こえないようになっている。
「お水を頂けますか?何だか咽喉がやけに乾いてしまって……」
多分、緊張のせいだろう。オレも車だったので、アルコールは呑んでいない。いないが呑み過ぎた時の後以上に咽喉が乾く。
恭子さんは物珍しそうに車内を見回していたが、同じく「水をお願いします」と言っていた。
恭子さんや詩織莉さんはアルコールを呑んでいるので水分を摂って体内のアルコール濃度を下げる必要が有るのかもしれない。
詩織莉さんが優雅な仕草でバカラと思しきグラスを手渡してくれた。口に含むと甘い水が咽喉をすんなりと下りていく。
何だか少し落ち着いた感じがした。
そして、リムジンは――車体が大きいので体感はない――他の車を抜いてすいすいと走っていく。
この調子なら、直ぐにホテルに着くだろう。
その時からが勝負だと思った。
詩織莉さんは苛々とした雰囲気でエルメスの手帳に書いたホテルの部屋番号をもう一度見返しながらタバコを吸っていた。
多分、詩織莉さんも戦闘モードに気持ちを切り替えているのだろうなと思った。
ユキは無事だろうかと思っていると、ホテルの駐車場が見えて来た。
さあ、いよいよだ。
恭子さんも何だか銀行に居た時以上にキリリとした表情を浮かべている。
多分、オレもそんな表情を浮かべているのだろう。
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