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第87話

 だからお金の件に関しても勉強はしているらしい。現に外資系の怪しげな投資銀行勤務のお客さんもシャンパンタワーではなくて、ブランデータワーをバンバン入れてくれる客も居る。  投資「銀行」と訳されているのでややこしいのだが、アメリカでは株式とか金融商品、FXなどで大博打――いや、バクチという言い方は違うかもだが――アナリストとかいう分析家が居て、株やFXで儲けるための「銀行」と、一般の日本人がイメージする銀行に分かれるらしい。  そして、そういう怪しげな投資銀行は893が裏の仕事で儲けたお金をタックスヘイブンだかタックスヘブンだったか……ともかく税金がバカみたいに安くて、かつそれほど法律が厳しくないところに海外送金してしまって、マネーロンダリング――思うがオレは横文字が苦手なので間違っている可能性の方が高いが――とにかく「お金の洗濯」をして違法行為で儲けたお金を「綺麗なお金」に替えるということもしているらしい。  怪しげな外資系の投資銀行にお勤めのお客様も店にとっては「太い客」扱いするくらいの散財を毎回して下さっている。  オレもご来店の度に指名を貰っていたのも事実だし、その女性の話だと経済担当の893も多数居てFXや株式投資に勤しんでいるようだった。  ユリの客がメインで集められている可能性が高いということは納得したものの、昨日の料亭を改造したと思しき店も頬を指で斜めに切るジェスチャーをするフロント店なことには間違いがない。しかし、それを恭子さんの銀行からも完全に隠蔽している――でなければ小切手の当座預金はとっくに凍結されているだろう――ことも考え併せれば、店の関係者によほどの切れ者が居ることくらい分かった。 「いらっしゃいませ、坂倉詩織莉さま。ご宿泊ですか?」  フロント階に停まったエレベーターから下りると、ホテルマンが黒子のように現れた。  そう言えばこのホテルは宿泊客の名前は全て覚えているという話だった。それに言うまでもなく詩織莉さんは人気女優なので映画を観る人間なら皆知っているレベルだった。  オレも泊まったことがないわけでもないが、やはり詩織莉さんの名前の方が先に出るのだろう。 「いえ、――号室のパーティに呼ばれているの。通っても良いかしら?」  女王様然とした堂々たる立ち居振る舞いと誰にもノーとは言わせない雰囲気で言い切っている詩織莉さんに負けないようにかも知れないが恭子さんは普段よりも更に知的かつ出来る女モードに入っていた。 「勿論で御座います。何でも秘密の懇親会とか仰って、料理やお酒をお運びした後、一切スタッフは出入り禁止という物々しさでしたが、坂倉様を筆頭とした豪華なゲストをお呼びしているのでしょうね……?」  こういうホテルではゲストのプライバシーは徹底して守られる。それにこのNY風のホテルは芸能人とか実業家などが愛用していると聞いている。  それなのに「秘密の懇親会」とやらの情報をそれとなく聞き出そうとしているのは、やはり宿泊のプロから見てもどこかおかしいと感じたのだろう、多分。  それに宿泊客のプライバシーを厳守するのはこういうホテルの信用に関わるのは大前提だが、それよりも更に重要なのは他の宿泊客の身の安全とかホテルの「闇」に――どの世界にも闇と光があるのはオレ自身の経験則からも良く分かっている――触れるような問題には敏感になるのだろうな……と思った。  多分、丁度良い明るさに調節されたホテルの廊下を颯爽として歩む恭子さんが勤める銀行だって同じだと思う。そういう意味では「公器」というか、公共の場所という意味合いを持っているので、その管理責任を担っている責任感の現れなのかもしれない。 「そうね。ただ、今夜のパーティは極めてデリケートな問題も含んでいるので、口外しないようにお願いしたいと思います。特にマスコミには……。それ以外の場所は――そうね、けい、いいえ、公的機関動かないとお約束するわ」  「けい」の後には「さつ」が続くようなニュアンスを響かせる詩織莉さんの言語能力は物凄いなと感心してまう。そして、図書館を彷彿とさせる――といってもオレ自身はそんなに通っているわけでもないが――通路を歩いた時に目に留まったものを、さり気なく取ってスーツの中に入れた感触をマザマザと感じた。 「左様でございますか?  それならば、そのようにスタッフにも申し伝えておきます」  タキシードというホテルマンの見本のような服を一分の隙もなく着こなしたスタッフは安心したような笑顔を見せている。 「では、お入りください。ごゆっくりお過ごしくださいませ」  そう言うと手袋をした手を一枚板の重厚な扉の横に有るチャイムを押している。 「リョウ、先ずは私達が行くので、後はお願いね。  貴方の臨機応変さは知っているもの……」  詩織莉さんは動じる様子もない口調だったが、華奢な手が少し震えているのが目を射るようだった。 「分かりました。恭子さんもどうか御無事で……」  詩織莉さんの女王様のような凛然とした背中を見送りながら言った。  明るい室内の様子がオレを含め三人の目に入ってきた。  一瞬、息を止めてしまっている自分に気付いて慌てて呼吸を再開する。

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