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第89話

「上ですか?だったら責任者の方を呼んで来て頂く必要が有るかと思い、コホン――存じますが。即座にお願い致します」  一応職場では文法無視――だとお客さんに指摘される――「適当な」敬語は使っているが「エリート」が使うようなお上品な敬語はあいにく知らないので、慌てて言い直した。   それに、壇上のユキの血の気の引いた顔なのに、頬が紅い薔薇のように上気している点とか唇からせわしなく息を吸っている様子が遠目にも見えて、早く助けなければと思っている。 「あのう……。ただ今大変混みあっておりまして、お時間を取らせるっ!!」  思わず受付の机の向こうにいるバイトなのかユリの店のスタッフなのか分からない若者の腕を掴んでしまった。 「そういう御託は良いから、なるべく早く呼んで来て頂戴!分かったわね!?」  恭子さんはまるで詩織莉さんの真似をしているかのような女王様風の命令口調だった。 「はいっ!!しばらくお待ち下さいっ!!」  今時の若者らしく茶色とグレーに染めた短めな髪とヒゲが不似合な感じの受付の机から走り去った。 「しばらくって、具体的には何分待てば良いのでしょうか?」  オレだって伊達に水商売を長くしているわけではない。  お客さんの中には弁護士さんだっている。と言っても、お店にいらした時は至極温和な感じの普通の中年女性といった雰囲気だが。ただ、その人から「具体的な日時を決めるのは鉄則よ」とか聞いた覚えが有ったので、そう付け加えた。 「すみませんっ!分からないっすっ!!」  オレの怪しい敬語よりも言葉の数が足らないらしい若者は恭子さんの有無を言わさない迫力と、多分オレの無言の威圧にビビったのか――何でも黙って睨んでいると「眼ヂカラ」が有り過ぎて怖いらしいと同僚が言っていた――ひょろ長い足をもつれさせながら小走りに走り去って行く。 「洋幸君、大丈夫かしら?」  檀上には、早めに来た客と思しき男性が二人上がって、ユキの何も纏っていない身体をしげしげと眺めている。勿論、獲物を目にした肉食獣というか、ご馳走を目の前にして早く食べたがっている――というか味見をしたがっているような舌なめずりの音が聞こえてくるようだった。  今すぐにでも助けに行きたい。行きたいが、詩織莉さんが戻って来るまではこの無駄に豪華な部屋に居なければならない。  しかも、オレが知っている限りでは「強制わいせつ罪」とは――以前は男性が女性に仕出かすコトだけを指していたらしいが、法律が変わって相手が女性でなくても成立するらしい。その点は良かったとも言えるが――実際に「そういうコト」をしないと罪として成立しないらしい。  もっと、他に法律で取り締まれるような気もするがあいにくそこまでの知識は持ち合わせていない。  今まで高千穂商科大学に通ったことに――というか、籍を置いていただけという方が適切かもだが――不満はなかったが、この期に及んで法学部にでも通っていれば良かったと思ってしまう。  ま、後の祭りというものだろうが。 「薬を盛られていますから、素人では何とも……」  檀上では、紅い薔薇の褥に横たわったユキの身体を舐め回すように眺めたり、太くて趣味の悪い指輪をはめた手が芋虫のように白磁のような肌を突いたりしている。  歯噛みをする思いで見詰めるしか方法にないオレには耐え難い時間だった。  胃もキリキリと痛むような気までしてしまう。胃腸も肝臓も物凄く健康だと職場の健康診断でも太鼓判を押されていたのに。 「それよりも、恭子さん、詩織莉さんの話し方と似ていますね。もしかして真似たりとかしていませんか?」  ユキの素肌に這い回っている指とか視線を一時でも忘れるために敢えて他愛のない話題を振った。 「やだ!詩織莉さんの女王様みたいなオーラなんてないわよ。  そうじゃなくて、職場ではいつもあんな感じね……。支店長を目指すには――いえ、もっと上に行くためかもね――やっぱりあれくらいは言えないと。  まあ、詩織莉さんを参考にしている部分は多少有るかも知れないけど……」  恭子さんが出世に頑張っていることは何となく知っていたが、やはり頼もしいなと思ってしまう。  すると、会場の電気が一斉に消えて壇上のユキの横たわっている姿だけがピンライトみたいに浮かび上がった。 「あー!あー!マイクテストォ!マイクテストォ!  レディー・アンド・ジェントルメン!楽しい宴の時刻となりましたが――もうしばらくお待ちくださぁい。  皆様の、ほ、宝石よりも貴重なお時間を奪ってしまって、えっとぉー!誠にぃ申し訳ございませんが……」  昨夜のショーはスタッフも慣れている感じだったが、今日のグダグダ感が否めない。  まあ、ユリごときが主催者っぽいので仕方のないことだと思うが。  それに、時間が稼げるのはオレ達にもユキにも良かったとシミジミ思ったが。 「それに、未だショーの時間では有りませんので、主役でもあるぅ――『眠り姫』を、いや『眠り姫』に――かも知れません。スミマセン、分かりません。ともかく!今は『眠り姫』をまだ起こすことをご遠慮頂けますかぁ?」  司会者らしき男性もだいぶテンパっているらしい。  ユキを救いに行かなければならないという使命感を胸に秘めつつもその「てにをは」(?)だったかを間違っているのはオレでも分かったのでクスリと笑ってしまった。 「笑うのは良いコトだわ。ガチガチに緊張していれば言いたいこともしたいことも出来ないもの……。それにしても『上の人』とやらは、どこに行ったのかしらね?」  恭子さんは白いハンカチを握り締めながら言っているのが暗い照明の中でも分かった。 「さあ、必死に『上の人』をでっち上げているのかも知れませんね。  多分、そんなに指揮系統がきっちり出来上がっているとは思えないですから。  ユリという性悪男――いや性悪女かもですが――そいつが行き当たりばったりの思いつきでこのホテルを押さえたのは良いんですが、それくらいしか出来なかったのでは?」  ユリは、確かに身体で籠絡している人間は多そうだったが「そういう」方法でしか釣れない人間ばかりが今夜のショーに参加している感じだった。  これなら、何とかなりそうだと思って少しだけ安心した。  ピンライトが当たったユキの苦しそうな顰めた眉を見ながら「直ぐに助けに行ってやるから!」と密かに決意を固めた。

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