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第90話

 ただ、昨日の客らしき893系の人間も客の中にちらほら混じっているような感じだった。  鬼のように法律が改正されている昨今、ユキのお父様の組みたいな昔カタギというか「仁侠映画」に出て来る「筋を通す」とか「疑似家族」のような――組長を「父」、組長と兄弟盃を交わした相手は「叔父貴」とか呼ぶのはその名残りらしい――感じではなくて、もっとビジネスライクというか、お金になるなら何でもする、しかし刑務所には行きたくないという人ほどその世界では「出世」していくという話はウワサとして入っているし、そもそもが法律のスレスレの、いわばダークな部分で生計を立てているらしい。  それに不祥事を起こして弁護士会を除名されたような人間も歓迎される世界のようだったので、そういうある意味「法律」をメシのタネにしている人間が下手に「上の人間」として出て来ても困るな……と内心ジリジリとしてしまう。  元弁護士だろうが、れっきとした(?)893のエリートは物凄く頭が切れると聞いているし、オレなんかよりも絶対に法律の知識も豊富なので、突っ込まれると絶対にボロが出てしまうし。 「恭子さん、法律の知識なんて有りませんよね?」  「桜田門から来た」と言い切った以上は、相手に「警察関係者」と思わせておかなければならない。  それなのに法律、確か刑法とかだったと思うが、それすら定かではないのは流石にマズい。深い知識なんてないし、そんなのは詳しい人に突っ込まれたら即座にバレる自信がある。 「え?大学の教養課程で習った程度は分かるかも……」  恭子さんの大学ではそんなモノが有ったらしい。胃が喉元までせり上がってくるような焦燥感を忘れようと――そうでもしないと、会場に乱入してしまって、腕に覚えの有るような893もたくさん居そうだし、そっちもオレには自信はないのが情けない――話しをしていると程良く緊張が解れそうだ。  カチカチに緊張していれば、身体と頭のキレもなくなるし、ユキを助ける目的も果たせなくなってしまうのは最も避けたい事態だった。  恭子さんがどこの大学を出たのかは知らないが、オレの通っていた万事がユルい高千穂商科大学とは全然違うらしい。 「刑法とか分かります?」  我ながら情けないが、知らないモノはどうしようもない。 「え?それなりには……」  何だか受付に放置されたままで、後ろには人が並んでいる。女性は案の定、居なくて男性ばかりなのがユリの客である――多分、ユキが「主役」というのは本当なのだろうが、ユリも絶対に舞台に上がる積もりだろう。何故なら昨夜ユキが観客の視線とか称賛を集めてしまって滅茶苦茶に嫉妬していることは何となく分かったからだ――コトは分かった。  ただ、昨夜の客で、オレのことを覚えている人間が来ないことを切実に願ってしまう。  ユキと「そういう」ショーをしたことは「運命」だと思っていたし、一切の後悔はなかった。  しかし、ある意味、悪目立ちをしてしまったのも事実だったし、オレが覚えていなくても客の中には一方的に知っている人が居るかも知れない。 「オレの大学では法律の授業なんてなかったです……。お店の研修と、お客さんの会話でしか知らないので、フォローお願いしても良いですか?」  恭子さんの方が絶対に知識も、そして真っ当な社会人経験・そして会社と銀行は違うのかも知れないがそういう社会常識も持っているのは確かだった。 「一応、何とかしてみるけど……。あまり期待しないでね。  まあ、洋幸君を早く助けないといけないから、私も全力で頑張るけど、リョウは身体張ってね!!」  恭子さんも暗がりの中で白いハンカチを揉みしだいているのが分かる。そして、声に微かに緊張が混じっている。  暖房が良い感じで入っているので、紅い薔薇の褥に「眠り姫」みたいに横たわっているユキもそれほど寒くないだろうが、薬を盛られた様子なのが非常に気になってしまう。  最悪の事態も想定して来たものの、そこまで行っていない……いや会場のグダグダ感に助けられたような気がする。それこそ、昨夜のショーのように秩序だったモノだったら逆にヤバかったような気がする。  後は会場に居る人間――と言っても暗がりの中で顔ははっきりと見えないが、オレだって一応身体も商売道具なので鍛えている。ジムに週3以上は通っていることも有って、男たちのスーツの下が贅肉なのか筋肉なのか程度の区別はつく。  暗がりとはいえ、ユキの身体にはピンライトが当たっていたし、徐々に目も慣れてきたので、男達を観察しておこうと思った。  受付に「上の人間」が駆けつけて来るまではこの場所を離れることが出来ないし、詩織莉さんも合流する積もりだろう。  だからそれまでの間に出来る限りのことはしなければならないな……と強く思って辺りを見回した。  そう言えば、性悪なユリに誘われたとかいうジャニー○系イケメンの姿が見えないなと思いつつ、ジリジリと焦げるような気持ちで受付に立つしかない状況にも最高にストレスが溜まる。 「身体は張ります。そっちは任せておいて下さいね!というか、それしか出来ないですけど」  決意を秘めた声で恭子さんに小声で告げた。  それにオレには893の究極の武器――だと思われる――対策もちゃんとしていたし。 「あれ?あの人が『上の人』?法律の知識……そんなにないけど何とか頑張ってみるわ。リョウは黙って威厳を持って頷いていれば良いかと。官僚だってね、上の人はそんなに話さないのが普通だから」  恭子さんの声に振り向くと、確かに急ぎ足で近付いて来る男の影が見えた。 「了解です。威厳と自信――オレの場合は根拠のない自信ですけど――を持っているフリはします。恭子さんの知性に賭けることにします、ね」  そう早口で告げた後に深く深呼吸をして、精神統一した。いよいよ会場に入れるかどうかの瀬戸際だ。  そしてその見知らぬ男の歩き方の隙のなさとかスーツ越しでも分かる鍛えた身体はタダモノではないオーラが漂っている。  一筋縄ではいかない感じだったので、緊張を解そうと必死で息を整えた。

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