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第91話

「お待たせ致しまして申し訳御座いません。  何か不手際が有ったと聞いておりますが、一体」  893風というか「そっち系」の雰囲気を醸し出すドスの効いた声とは裏腹に目が泳いでいる。  昨日のゲイバーのスタッフではなかったのも不幸中の幸いだったような気がする。オレを見る眼差しにも不審の念ではなくて税務署の査察にビビっているような感じしかしなかったし。  昨夜、あの店に居た人間ならばオレの顔も当然見ているハズだし身バレもある程度は覚悟していた。まあ、世間には「良く似た人間」が三人以上いるらしいので、その線で押し切ろうとしていた程度だったのだが。 「余計なご挨拶は無用です。わたくしは霞が関の方から参りました。  不透明な金銭の流れが有ると仄聞致しまして。  帳簿を見せて頂けますか?」  恭子さんが威厳に満ちた感じで宣言すると、男は更に目が泳いでいる。  まあ、この場所は暗いので目が慣れてしまったオレとか、多分恭子さんくらいしか分からなかっただろうが。 「ちょ……帳簿ですかっ!あいにく現金で会費の方を集めておりまして。  御覧の通りまだお客様がいらしている最中でもありますし……そのう……」  「霞が関」というマジックワードにまんまと引っ掛かった男は目に見えて狼狽えている。  893の世界には肝の据わった人間がたくさん居ると聞いていたのに、この呆気なさは意外だった。まぁ、あの性悪なユリの口車に乗せられる人間なんてこんなモノなのかもしれないが。  ドラマで観た通りに振る舞うことにした。その方が早い上にこの男ならチョロいとも判断したので。 「オ……私は桜田門から参りました」  桜田門と聞いて男の目が更に泳いで後ろの方を見ている。  まあ、霞が関イコール財務省とか国税局などは基本的に税金を払えば良いだけの話だったような気がする。物凄く大きな金額とか会社ぐるみの不正行為をしている場合には逮捕者とかも出るようなことは聞いたか読んだ覚えはあるものの、この男が払う義務はないと思う、あくまで素人判断だが。  しかし、桜田門イコール警察庁だか警視庁だかには――正直その二つの組織の違いは知らない――逮捕とかも出来るのでよりいっそうの恐怖なのだろう。 「ふ、フダは有るのかっ?フダがないと何にも喋らないぞっ!」  フダとは一体何のコトなのか一瞬分からなかった。 「あら?捜査令状を裁判所に発行して貰った方が良いのかしら?まぁ、そうなればバンに乗り込んで待機している人達がどっと押し寄せてくる事態になりますよ?そちらの方を選択するということで宜しいのですね」  恭子さんのナイスフォローと機転のキレに内心安堵のため息を漏らしてしまう。  どの業界も同じかも知れないが、隠語が多くて「外部」の人間には分からない。  フダというのは多分「札」という字を書くのではないかと背中に冷や汗が伝っているのを感じながら思っていた。 「えっ?別荘には行きたくないですっ!所轄のサツにもっ!!れ、連行されるんですかっ?」  物凄く焦ったような早口で言う男は893どころか半グレと呼ばれる組織には属さないながらも、しっかりと裏でそっちと繋がっているというのが専らのウワサのトップにもなれない小物臭しかしない。  「別荘」というのがイマイチ分からなかったが所轄は流石にオレですら分かる。だから多分検察だか裁判所のことを言っているだろうなと強気に出ることにした。 「何か、御用ですか?山本!お前はこの財務省の女性に今集まっている金を見せろ。  桜田門の相手は……え?」  後ろからドスの効いた声がビンビンといった感じで響いてきた。  その声に振り返ったオレは凍りついてしまった。  何故なら、昨夜客席に居た――しかも、男性の象徴に真珠を入れているとか聞こえよがしに言っていたのを鮮明に覚えている、何しろぶつけただけであんなに痛い場所に真珠とはいえ異物を容れるなんてオレには絶対に無理な話だったので――ユキの実家の組ではない人間だったので。 「おや、桜田門の人はたくさん存じていますがね……。なにしろ、あっちのシノギはオレ達の監視で、ガサ入れなんざ日常チャメシ事なんでね。  それよりも、昨日の夜にショーの舞台に立っていた色男じゃないですか」  恭子さんの眉が険しそうに顰められている。オレもその眼光の鋭さとか、全体から発せられる冷たいオーラに呑まれたカエルのようになってしまっていたが。 「日常サ・ハ・ン・ジね?それを仰るなら。  貴方がどの組に属しているかは知らないけれども、どうせ愛国とか皇国万歳とか言っているんでしょ?だったら日本語は正しく使わないといけないわよ?愛する国でしょ?この日本は」  恭子さんが「言葉尻を捉える」という反撃に出たのは、多分そうしないと現状を打破出来ないと咄嗟に判断したのだろう。  ――そして、オレの身元は確実にバレている。 「鼻っ柱の強いお姉さんだな!一体何者だ?」  イラっとした感じの強気のオーラが全身に立ち上っているような気すら覚える。  まあ、基本的に言葉ではなくて行動で示すタイプなのだろう。 「財務省を舐めるんじゃないわよ?  良い!?普段から切った張ったをしているわけじゃないんですからねっ!!」  「舐めるんじゃない」と言い切った恭子さんの口調に物凄く気持ちが入っているのは、多分、私怨というか銀行の脅威として時々接している恨み辛みからだろう。 「ほほう、切った張ったはオレ達のシノギで望むところだ。おいっ!!山本お前が自慢していたチャカを貸せ」  チャカ程度の隠語は分かった。  そして、その言葉に後ろに並んでいた客達も蜘蛛の子を散らすように走り去って行く気配がした。  まあ、ユリの店に来ている人間がほぼ、ソッチ関係と何らかの繋がりが有ると考えた方がしっくり来るのである意味当然かも知れないが。 「チャカにモノを言わすのですか。面白い、受けて立ちましょう」  恭子さんに万が一のコトが有ってはならないと、背中で庇いながら、山本が震える指で差し出した「チャカ」を何だか夢の中の出来事のように冷静に見ていた。  それなりの備えはして来たし、それにこの男のマイナスの冷気にも何だか慣れたような気がしたのも確かだった。 「ほう、ホスト風情が偉そうに。  良いだろう?これが俺達の流儀だ」  拳銃とは意外に小さいんだな……と思いながら銃口とか引き金とかを冷静に、他人事のように見てしまう。  しかも男の指が芋虫のように太いので尚更おもちゃのような感じだったし。  男が引き金を静かに引いているのがスローモーションのように見えた。 「リョウっ!」  恭子さんの悲鳴と、パンという乾いた音が響くのが同時だった。

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