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第92話
これは倒れるべきだろうか?と冷静に考えながら、意外に身体へのダメージがないことを「体感」してしまう。
多分、この発射音は会場に居る人間の殆んどが聞き覚えのあるモノだったらしくて、恭子さんがスマホを慌ただしく操作している横を走り抜けていっている。
まあ、発砲事件ともなれば――具体的に何罪とかは分からないモノの――間違いなく「本当の」警察沙汰になるので脛に傷を持つ人間は特に関わりたくないのだろう。
「ちょっとっ!!止血っ!!
貴方、そこの人早くホテルの人を呼びなさいっ!!」
人間は死にかける時には走馬灯のように過去の色々なことが脳裏に浮かびまくるとか聞いた覚えがあったが、ドラマチックに床に倒れ込んだオレ的には恭子さんの声とか、顔の周りを走り去っていく男の靴の数しか見えない。
「公務執行妨害罪も付くわよっ!大人しく銃を床に置いて、両手を上に上げなさいっ!!」
恭子さんの完全に裏返った声とか、氷のように静まり返った会場の雰囲気を予想以上にフカフカの絨毯に頬を当てて感じていた。
「ホテルの人っすね!分かりましたっ!!」
警察よりも先にホテルの人を呼ぶ恭子さんの配慮に感心していたのは、オレが銃弾を身体に浴びてなかったからだろう。
――ちなみに、図書館のようなホテルの廊下を通った時に、最も分厚くて、かつ頑丈そうな外国の文字が書かれた本をスーツの中に忍ばせていたのが役に立っていた――。
外国の映画で観たような気もするが、ああいう小型の銃ではなくてマグナムとかだったら貫通力とか破壊力だかが桁違いらしい。だから、オレの場合(これなら大丈夫だ)と思っていた。
ただ、ホテルの人とか詩織莉さんが来る時まで時間稼ぎをしておかなければならないと思って撃たれたフリをしようと咄嗟に思っただけだったので。
「皆、止まりなさい!!
って、リョウ!!大丈夫なの??」
詩織莉さんのピンヒールが物凄い勢いで近付いてきた。
そして、その後に続くスタッフとか応援要員だか知らないが、そういう「頼もしい」靴の群れに内心安堵した。
「大丈夫ですよ。防弾対策くらいはしていますから。身体に傷は有りません。それよりも、ユキを診て上げて下さい」
手慣れた感じで手首の脈を計っている男性は多分医師だろうと思う。
詩織莉さんが来たからにはもう大丈夫だろうと思ってさっさと立ち上がることにした。
「ええっ!?リョウ大丈夫だったの??ちょっと、そこの男の身柄はちゃんと押さえておいてねっ!!」
まだ状況を掴めていない恭子さんの幾分乱れた声が会場内に響いている。
「大丈夫です。ほら」
スーツの中から――これが普通の勤め人が着る安いスーツなら物理的に無理だったかもしれないが――アルマーニのゆったり具合がこんなコトで役立つとは思わなかった。
立ち上がってジャケットの中からクソ分厚い本を取り出した。ちなみにこんな本を本当に読む人間が居ると思えないが。
ホテルの従業員と思しき人間も続々と詰めかけていて、部屋の灯りが煌煌と点いた。
皮製と思しきカバーとその中の紙の真ん中辺りまでが焼け焦げた穴が通っていた。
銃弾も食い込んでいて、流石にビビったが。
いや、それよりもユキのことが心配で、詩織莉さんに「後は宜しく」という意味を込めて目配せをすると、紅い唇が悠然とした不敵な笑みを浮かべてくれていた。
物々しい感じでホテルの男性スタッフが入口に立ちふさがっていることを確認しつつ、足と判断力の早い人間は去ってしまって閑散とした大きな部屋を横切って壇上に上がる。
医師と思しき男性がユキの脈を計ったり、聴診器を当てたりしている。
「先生、ユキは大丈夫ですか?」
薔薇の褥に横たわったユキの青白い身体全てを晒しておくのは流石に忍びない。
まあ、医師ならば見慣れているだろうが、他の人間も居るし――と言ってもユキに注目していた客達は入口付近で皆遮られていて、こちらに視線は送ってきていないが――焦げ目の付いたジャケットを脱いで、ユキの下半身に掛けた。何をしないよりはマシだと思って。
それに、詩織莉さんが連れて来た医師と思しき男性の方が――当たり前だ――専門知識も持ち合わせているだろうから。
「睡眠薬系と、後は強壮剤系を一緒に盛られたみたいですね。
本来ならば同時に摂取すると命の危険が有るレベルです。
ただ、患者様の心臓には負担が掛からなくて何よりでした。このまま病院に運んでも良いでしょうか?
一晩は設備の整った場所で様子を見ることを強くお勧め致します」
医師がそう言うのだからそうなのだろう。そして何より、ユキに「今のところ」命の危険がないことが分かって本当に良かったと思った。
貞操の危機も――オレはそんなことは気にしないものの――回避出来たことだし、万々歳といった感じだろうか。
「それは勿論です。あ、運びますね」
先生がユキの腰と膝に手を回しているのは、俗に言う「お姫様抱っこ」をする用意なのだろうと思うと、オレがした方が良いような気がした。
「お願い出来ますか?病院に電話しないとならないので……」
ユキの華奢な身体をそっと抱き上げて無駄に豪華な部屋の中を進んだ。
詩織莉さんがスタッフのトップと思しき人と真剣な顔で話しこんでいる。
その時に意外というか、居て当たり前だった人間が二人、慌ただしくスイートルームのもう片方の部屋から出てきた。
あ、そういうコトか……と見て納得してしまったが。
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