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第94話
「ああ、一応な。本当はオレ一人で助けに来たかったんだが、詩織莉さんとか恭子さんまで付いて来ると言ってくれて。
ま、一人よりも多数の方が良いと思って……」
映画とかだとヒーローが一人でカッコ良く「お姫様」を助けに行くというのが王道だと思っていたが、現実はそんなに甘いものではないなと苦く笑ってしまう・
「栞お姉様も、そして恭子さんて銀行の人でしょ?色々迷惑を掛けちゃったみたい……。
でも、シンが助けに来てくれたことが一番嬉しい、よ?」
ユキの幾分赤味の戻った唇が健気な言葉を紡いでいる。
そして、先程よりも素肌の色が戻っているのも掛けたスーツの隙間から見えて安堵の笑みを浮かべてしまった。
「病院に着いてキチンと血液検査などをするまでは、話さない方が良いですよ」
ホテルの駐車場へと続く通路を歩きながら先生が注意してくる。
確かにその通りだなと思って口を噤んだ。
「シン、この人誰?」
今まで気を失っていたのだから当然の質問をユキが口にした。
「詩織莉さんが呼んだ『あらゆる意味で信頼出来る』医者だ。だから、もう話すのは止めて先生の言う通りにした方が良い」
諭すように言うとユキは切れ長の目をパチパチと瞬きをしている。その度ごとに長い睫毛が扇のように白い顔に影を落としている。
先程よりも顔色も良くなっていることにも安堵しつつ長い通路を歩いていると、先生が気掛かりそうな表情を浮かべて振り返ってオレを見た。
「いくら平均よりも細いとはいえ、人間の体重をずっと支えるのは大変でしょう?
替わりましょうか?
私は職務上コツを掴んでいますので、それほど苦ではないと思いますので」
親切心とか職務的な義務から言ってくれているのは分かったが、ユキはスーツを毛布代わりに掛けているとはいえ、産まれたままの姿なことには変わりがない。
まあ、医師なので見慣れているだろうし「変な」気持ちも抱かないとは思うがそれでもユキの身体を託す気にはなれなかった。そして医師の言葉を聞いたユキが身体を強張らせているのも気になった。
医師だから信頼出来るだろうし、オレも居るのだから「変」なコトにならないことくらい賢明かつイザとなったら腹も据わって判断力が増すユキなら直ぐに分かるハズで、ホテルの薔薇の褥に寝かされる前に、投薬以外の何かをされている可能性が有るなと昏い想像をしてしまう。
「いえ、大丈夫です。体力は有りますし、鍛えてもいますので」
そう言うと、ユキの身体から強張りが溶けて行った。やはり何かされたなと嫌な予感しかしない。
「そうですか。分かりました」
先生のスマホが着信音を響かせているようだった。何しろオレのスマホはポケットの中で、振動していないのだから。
先生は画面を確認した後に電話に出る。
「私だが。――分かった。二分ほどで着く。採血と念のために点滴、そう、Bの方で良いだろう。その線で頼む。あと、毛布の用意を、そう小林さんに」
オレが存在すら知らなかった「病院が持っている」とかいう救急車の人との通話だ程度のことは分かったが、Bとは何だろうか。
医師というのは単語で話すのか……とか思ってしまう。ドラマとかでは結構普通の言葉遣いをしていたような気がしたが。
流石に腕が抜けそうな気がしてきた。
あと、二分だけという医師の言葉だけが救いだった。
新人時代にはクソ重いビールのケースとかミネラルウオーターなんかを運ばせられた。
その時の経験から、そろそろ腕が負荷に耐えられずプルプル震えてきそうだ。
それだけは何としても避けたくて――ユキの身体にはオレの腕の状態が分かるだろうし、ユキの性格だと物凄く遠慮してしまうだろうから――足を速めた。
医師もオレの腕の状態が分かるのだろうか?ま、人体の専門家だから見れば分かるのかもしれないが何となく苦笑のような笑みを浮かべて足を更に速めてくれた。
何も言わずに済むのが有り難かった。流石は詩織莉さんが厳選した医師だけのことはあるなと必死に他のことを考えて腕の負担を忘れようと試みた。
見慣れている――と言ってもしげしげ見ているわけでないが――救急車よりも小振りな感じだが、サイレンとか色目は救急車と同じ車を見て安堵してしまう。
そして、車外に待機していたと思しきナースが毛布を持っている。そしてその横には白衣を来た割と体格の良い男性も立っていた。
「患者様をお預かりします。小林君、患者様の身体を暖めるために毛布を」
女性ならばユキも大丈夫なような気がした。
何しろ忌々しいあの会場には男性率が異様に高かったので――ま、あの性悪・インランのユリ主催なのでそうなるだろうが――ユキの身体が強張る原因は男だろうし。
小林というナースは職業上そうなるのだろうが、無表情で事務的にユキの身体を毛布で包んでいる。
だいぶ良くなったように素人目には見えたが、専門家に任せるべきだろうなと思っていると、男性が物凄く慣れた感じでユキを救急車の中に運び込んでくれていた。
ベッド状のモノの上に横たえられたユキを見ていると、医師がオレを見ている。
「貴方も病院にいらっしゃるのでしょう?早く乗って下さい」
え?こんな狭いのにと思って良く見るとベッドの周りにベンチみたいなモノが設置されていた。
そこに座れば良いのかと思って車内に乗り込んだ。
小林看護師は手慣れた感じでユキの腕に注射をして血液を採取している最中だった。
「血液検査すると、どんな薬を使われたのか確定しますので。まあ、大体の見当はついているのですが、念のためにです。
後は点滴で血中濃度を薄めます」
分からない点も有ったが、根掘り葉掘り聞くよりも専門家に任せる方が良いだろう。それに質問をしたところでオレに専門用語をかまされても分からない自信だけは有る。
サイレンを鳴らした救急車が走り出した。救急車に乗ったのは初めてだったが、その貴重な体験よりもユキのことが気になってしまって、点滴の針が刺さった痛々しい腕を眺めてしまった。
「既往症とかアレルギーは有りますか?」
先生が聞いてきたが、オレはユキのことをそこまで詳しくないので口ごもってしまう。
「特にないです」
ユキの声がサイレンに混じって聞こえてきた。
さっきよりもしっかりとした感じの声に一安心だった。
「シン……心配掛けてごめんなさい……」
ユキの声が物凄くすまなさそうなニュアンスで聞こえてきた。
ユキのせいではないというのに。
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