95 / 121
第96話
「そういうことをするのが、恋人でもあるオレの義務だから、そんなに気にしない方が良い。先生の言うことを良く聞いて、早く薬が抜ければ良いなとしか」
救急車専用のスペースらしき所に車が停まった。
「うん、分かった。何か心臓がハクハクする感じとか、熱が出た時みたいな感じなんだけどそういうのもキチンと治して貰った方が良いよ、ね?
シン、来てくれて本当に有難う。とっても嬉しかった、よ?」
ユキが言葉を紡いでいるのを新田医師も集中して聞いている感じだった。
ふと視線を転じるとドアが開いていて、煌々と明かりが漏れている中にストレッチャーとかナースとかが待機している。
場所は多分、広尾だと思うが土地柄もあってか何か高級感溢れる感じの病院だった。
流石は詩織莉さんが(多分)懇意にしているだけのことはある。
「処置室に運びます。貴方はこちらでお待ちください」
新田医師がテキパキとした感じで革張りのソファーの方を指差した。
まあ、完全な素人のオレが居ても却って邪魔になるというくらいは分かったし、プロに任せるしかない。
「検査とかが終わりましたら病室に運びますので、その時までお待ちください。
――で、大体のことは分かりましたが、性被害に遭ったという可能性も有るのでそちらも検査します」
それは薄々オレも思っていたので、万が一のことも考えて検査はして貰った方が良いと思う。
ただ、ユキの身体の強張り具合からして、何だか忍びない気もするけれども。
「お願いします。ただ、辛い思いとかすると精神的に参ってしまう気もすると思うのですが」
ユキの場合、賢明だし腹も据わっている。そして、育ちが良いので――というか世間の風に染まっていないと言うべきかもしれないが――寛容というか物に動じないところもある。
それなのに、あんなに強張るのはおかしいなと思ってしまった。
「その点は大丈夫です。ご本人の意識がない状態で調べますので。
栞様もそういうご意向だと仰っていましたし。
では、検査の結果については後ほど」
会釈をした後に白衣を翻してユキが運ばれたドアを開けている。
直ぐに「ON」と書いたランプが点いた。
ソファーに座って待つしかないな……と思いながら、詩織莉さんが堪り兼ねたような感じでタバコを吸っていたのが身に染みて分かった。
オレは非喫煙者なので、間が持たない。苛々して待つしかないだろうと思う。
ドリンクの自販機が有ったので、そちらに歩いてコーヒーのボタンを押す。
スマホもチェックしたが、詩織莉さんや恭子さんからの連絡はなかった。
多分、ホテルの方の後始末とか「犯人」ま、警察沙汰にする積もりはないような感じだったが、きっちりと落とし前はつけようとするのが詩織莉さんの性格だとは分かっている。
だからその協議中といったところなのだろう。
それが終われば――新田医師も詩織里莉さんを最大限に敬っている感じだったし、この病院に運ぶということは知っているハズなので――駆けつけてくるだろうなとも思った。
取り込み中というか強気の交渉中だったら、こちらから電話をしたりラインを送ったりして気を逸らせるのも悪いような気がする。
「無事に病院着きました」程度の情報しかない今は特に。
警察沙汰にした場合、ユキがオレとか新田先生が危惧しているように「そういう」被害に遭っていた場合に困ると思ってしまった。
オレの店に来る人はそれなりに人生経験を積んでいる、良い意味でも悪い意味でも。
で、当然女性の方が「そういう」被害に遭う可能性が多いわけで「黒歴史暴露」みたいな話の流れで警察に行くと「どういうふうにされたか」ということを物凄く細かく聞かれるらしい。
入れられたかとか、貴女も犯人も頂点に達しましたかとか、ゴムは着けていたとかそういうセンシティブなことまで根掘り葉掘りだそうだ。
ユキはショックから覚めた場合は、警官が聞いてくるそういうコトにも素直に話すタイプの人間だろうな……とも思う。
ただ、オレ的にはそういう話しをユキにさせたくはなかった。
新田医師が検査の目的で、ユキの身体のデリケートな場所まで触るだけでも――医療目的というか仕事として慣れ切っている行為だろうが、医師的には――抵抗がないわけではない。ま、そこのところは割り切らなければならないとは分かっている。
ただ、何だか法律が変わって「そういう」暴行を受ける相手が女性限定じゃなくなったらしいが、警官は石頭・頑固頭が多いのも知っている。
やんちゃしていた時に「事情聴取」とかで高圧的に言われたり売れる前に深夜3時とかにチャリで寮まで帰ろうとしている時に「その自転車は盗んだモノだろう」みたいな根拠もない決めつけで言いがかりとしか思えないことを平気で尋問だか何だか知らないが言って来たりしたので。
そういう人ばかりではないだろうが、ユキが「男性」として「そういう」被害に遭ったということで興味本位も加わるだろうし。
そういう好奇な目とかに晒されて、しかも「被害状況を具体的に話す」という経験をユキにはさせたくないと思ってしまう。警官の中には被害女性に「貴女が誘ったんじゃないんですか」みたいなことを平気で言う人もいるらしい。しかもそもそもが保守的な職業なので「そういう違法行為」は女性限定だと考えているような気もする。そういう意味でも「見世物」みたいな目にユキを遭わせたくはない。
まあ、詩織莉さんも、昨夜打ち明けてくれた「最悪の初めての体験」を持っていて、しかもその心の傷にずっと悩まされていた女性だからその程度は分かっていると思うが。
そんなことを考えていると、赤色の「ON」が緑色の「OFF」に切り替わった。
新田先生よりも先に点滴台を持った看護師さんとユキを乗せたストレッチャー(?)が通り過ぎて行った。
ユキは先程よりも頬の赤味が取れた感じで目蓋を閉じている。
もしかしたら薬で眠っているのかも知れないが。
ただ、その安らかな寝顔を見るとひとまずは安心してしまう。
ともだちにシェアしよう!