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第102話

「ドンキなどで売っているようなモノは温熱剤とかそういったものですので、無害です」  華麗にスルーされて本当に良かったと思った。 「ああ、あと、視覚も――いや五感全てなのですが――異様に敏感になりますから、部屋の明かりは極力暗くしておくことをお勧めいたします。  空中に舞っているホコリすら気になってしまうらしいので。  そうですね。ぼんやりと家具とかモノの輪郭が分かる程度の暗さが最適かと」  ホコリ……。いや、高校時代のオレの部屋はお母さんが見かねて掃除をしてくれたくらい酷かったので、綿埃があちらこちらに落ちているのは知っていた。まあ、埃で死ぬわけではないのでオレ的には全く気にならなかったが。ただ、空中に舞うホコリなんて見えないし、気にしたこともなかった。  そういえば布団とか毛布を干した時に母さんが叩くとホコリがもわっと出ているのは知っていたが。  そんな小さいモノすら気になるくらいなのか……と唖然とした。  肌が物凄く敏感になると聞いた時は――芸能人の不祥事などの週刊誌の記事でそういう解説も読んだかすかな記憶は有ったので――それほど驚かなかったが。  ただ、ユキにそういう薬を盛った人間でもあるユリには殺意を覚えてしまったが。  詩織莉さんがお見舞いしたグーパンチ――あれはあれでクリーンヒットだったが――ではまだまだ弱過ぎると、新田先生の話を聞いて思った。 「食事などはどうすれば?あとトイレも……」  物置に使っている部屋にユキを48時間は閉じ込めて――というより一緒に居る積りだったが――当然ながら部屋にはトイレはない。食事はケータリングを頼もうかなと思っていたが。ただ、新田先生のアドバイスに従った方が良いに決まっている。 「貴方の部屋の間取りが分からないので一般論ですが……」  この高級ホテルのような病院が秘密主義なのか、それとも詩織莉さんの依頼を受けた新田先生がワザとそうしているのかまでは分からないが、個人名とか住所・電話番号などを聞かれてもいない。普通の病院だと見舞客も名前と住所くらいは書いたり聞かれたりする。  オレは同僚が事故った時とか独身限定でお客さんが入院した時しか見舞いに行ったことくらいしかないが、ちなみに既婚者もウチの店の常連になって下さってる人も居るが、旦那さんとかに内緒にしているパターンが圧倒的に多い。ホストクラブ遊びというのは、やはり人妻には相応しくないのだろう。だからそういう人には見舞いに行かずにおいて、快気祝いを店で盛大にすることにしている。  今は見舞客どころか、患者(?)として搬送されたユキの恋人ということになっているハズだ、新田先生の中では。  昔は同性のカップルは内縁関係でも――うろ覚えなので違うかも知れない、確か婚姻届だか結婚届を役所に提出せずにずっと一緒に暮らしている関係のことだったが――公的な場所では「家族」とは認められなかったらしい。けれども、最近はLGBT運動も盛んだし、役所によっては家族と認めるとかいう法律だか条令が出来たとか聞いていた。  だから、ユキと一緒に暮らしている――と言っても一日だけという有様だが、そんなことまで先生が知っているわけはない――オレの住所と名前を聞いて来ても良さそうなのに、そんなことはしないのはある意味有り難かった。  というか、ユキの盛られた薬も表沙汰になったらヤバいヤツっぽいし、警察とかも介入してくるレベルなんじゃないかと素人判断ながらも思った。  だから、この病院専用の救急車で運んだのかも知れない。消防署は警察と連動しているのも知っている人は知っている、オレの耳にも入るくらいだから。  もしかしたら、ユキが手当てを受けていること自体も内緒にしてくれるのかもしれない。  広尾という土地柄、公に出来ない患者さんもたくさん居そうだ。まあ、お金が支払えるかどうかもポイントだろうが。芸能人とか実業家とかがわんさか住んでいるし、近くには大使館も有る。だからそういう人がヤバめの病気とかユキのような薬物とかも――ユキは自分で摂取したわけでもないが――診ているんだろうな……とは思った。 「トイレはオレ……いや、私がユ……いや、恋人を閉じ込めておこうと思っている近くに有ります。えっと歩いて10歩くらいです。そして当然窓はないです。だから万が一暴れたとしても、怪我をする程度で……。命の危険は多分ないかと」  最後の方はあやふやな口調になってしまう。大理石のトイレの中にはインテリアデザイナーが置いた熱帯魚の水槽も有るし、トイレの便座とかも危険と言えば危険だし。 「そうですか。一応、私の名刺をお渡ししておきます。病院の番号もそして携帯のも載っていますので、怪我をしたらどちらかに掛けて頂ければ対応致しますので」  慣れた感じで名刺を出す仕草が――もうずっと前の出来事に思えてしまう恭子さんの銀行の支店長と同じ感じだった――医師らしくない。  オレも名刺は持っているものの、名前と店の電話番号、そしてオレの顔写真入りで――しかも芸能人バリにキメたポーズという「いかにもホストで御座います」みたいなヤツだ――何だか恥ずかしかったが、背に腹は代えられない。 「こんなふざけた名刺ですみません。ついでにボールペンを貸して頂けますか?」  新田先生は白衣の胸ポケットにボールぺンを入れていて、それがピョコンと顔を出している。  オレの携帯番号は、見込みを含めて太い客には当然書いて渡すけど、その他大勢の客には店の電話番号しか教えない仕組みになっている。 「ああ、どうぞお使いください」  新田先生に相談することもあるだろうし、いま思いつくのはトイレと食事だったが、まだまだ有りそうな気はしていた。だから名刺交換をしておく方が――重ねて言うがオレのは真っ当な社会人に渡すには赤っ恥も良いところだが仕方ない――良いだろう。

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