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第103話

 ただ、携帯の電話番号を書いた名刺を渡しても新田先生は事務的で有能そうな表情を変えることはなかったが。ま、内心ではどう思っているかは分からないものの。新田先生がこの名刺を見て――男性だからホストクラブには足を踏み入れないだろうが、医師もストレスが溜まる仕事だと聞いているし、女医さんも時々店で豪遊してくれているのも確かだ。 だからキャバクラとかには行っていても何の不思議もない。キャバ嬢は名刺を持っていない店も有るので何とも言えないが、銀座のクラブとかならママさんとかは絶対に名刺を持っている。お店の名前と源氏名を書いた和紙とかの綺麗な名刺だが――ホストだろうなと思っているような気がした。  ま、それ以前に詩織莉さんからオレのことを聞いて居ないのであればユキと同じ程度に腹が据わっているのかも知れないし、オレの職業はスーツや髪形そして時計などで分かっていたのかもだけど。 「――で、食事ですが、それは充分摂っても良いです。その時水――ああ、コーヒーはダメで、紅茶なら良いです、ジャスミン茶とかの利尿作用のあるものもお勧めですね。  その方が早く薬が抜けますので」  そう言えばユキが盛られた薬はサウナに行ったら汗と共に抜けるというのを週刊誌で読んだ覚えがある。汗をかくのも有効なのだろうが、新田先生が幻覚で暴れることも有ると言っていたので、そういう場所には連れて行けない。 「分かりました。暴れて怪我をしたらこの番号に掛ければ良いのですね?  細かいことで相談とか受けつけて下さいますか?」  何しろユキのケースはオレ一人の手に余るような気がした。だから新田先生のアドバイスを是非とも受けたいと思ってしまう。 「それは勿論です。この病院は入院施設もありますが、そして患者様は予防医学の観点からも入院されていらっしゃいます。疲労が溜まり過ぎとかですね。  また往診も致しておりますのでお気軽に呼んでくださればと思います。  何しろ全額自費負担の病院なので、その辺りはホームドクターとしてご活用ください」  全額自費負担?オレは「バカは風邪を引かない」を実践しているが、それでも身体の異常を覚えたら病院に行く。その時は当然二割負担だ。まあ、働いている人は皆そんなモノだと思っていたが、どうやらこの病院はセレブご用達の病院なのだろう。  病院にほとんど縁がないので、救急車も自前で持っている病院がどれだけあるか知らないが。 「病室にご案内致しますね。  ただ――患者様の容態が特殊なモノですので、それなりの配慮はしていますことはご了承ください」  何だか嫌な予感がしたが、新田先生の判断は正しそうな気がしたので黙って後に続いた。  高級ホテルみたいな廊下を歩むと、ドア――オレの先輩が肝臓を壊して入院している病院はスライド式だったような気がする。こういうトコも普通の病院とは違うのだろう――を開けてくれた。  仄かな灯りしか点いていないのは、多分新田先生のアドバイスというかユキの刺激にならないためだろう。  ほの暗い灯りに目が慣れてきた。  その病室の様子に絶句してしまった。  「配慮」ってこういうコトかと思うと、暗澹たる気分になった。  家具や調度が豪華なだけに何だか西洋式の座敷牢みたいな感じだった。  詩織莉さんが主役を務めた大奥モノの映画で観たが、江戸城にもこういう感じの座敷牢が有って――本当に有ったのかそれとも映画のフィクションなのかは知らない――そこに精神病を患った将軍が寵愛している側室が入ったという場面だったが。  絢爛豪華さは似ているが――和風と洋風の違いこそあれ――ドアの向こうには鉄格子が有って外界(?)と隔てられている。  鉄格子といっても、刑務所みたいな感じではなくて凝った細工はしてあるが本質的には同じだろう。  そして詩織莉さん主演――ちなみに徳川の何代目だったかは忘れたが将軍の正妻(?)役の詩織莉さんがその座敷牢に見舞いに行った時には絹の紐(?)で両手を拘束されていた。  そしてユキも同じように手首と足首に手錠を掛けられていた。  そんな姿は見たくなかったが、暴れた時のためだろうな……と理性で思ってしまったが。 「バイタルは安定しています。お薬も良く効いているようで……。具体的には――」  付いていた看護師さんが新田先生に数字の羅列を言っていたが、オレにはユキの姿が不憫で仕方なかったせいもあって――ま、具体的な数字を聞いても分からないという側面も有ったが――変わり果てたユキの顔を見ていた。  蒼褪めた顔とか、ベッドから出ている手首・足首に手錠とか……。  救急車に乗っていた時には頬が不自然に紅くなっていたが、それは無くなっていた。多分、新田先生の治療のお蔭だろうが。 「手錠とかは、ウチのマンションでも必要ですか?」  妄想で暴れるとかは聞いていたし、そういう意味では新田先生の「配慮」は必要なのだろう。  しかし、凝った模様が施されていても鉄格子とか剥き出しのトイレなどを見ると暗澹たる気分になった。  精神病院の閉鎖病棟もこんな感じなのだろうな……と思ってしまう。 「リョウさんと仰いましたよね?  貴方お一人で48時間患者様を見ていなければなりませんが、人間は睡眠も必要です。  そういう『目を離すかもしれない』と思った時には拘束せざるを得ないですね……」  正論過ぎる新田先生の言葉にしぶしぶ頷く。  手錠とかそういうモノをユキの華奢な手首や足首につけるのも凄く気が進まないが、48時間不眠不休で頑張ろうとも思ってはいた。しかし、オレだって人間なので寝落ちすることも有るだろう。  だったら仕方ないコト、なのかもしれない……。  それに、愛の力で何とか出来るような問題ではないと理性では告げているものの、オレのマンションに連れて帰ってユキの薬が抜けるまで看病するのも恋人としての義務だと考えていた。  こんな豪華な座敷牢ではなくて。

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