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第104話

「貴方だって睡魔に勝てない時が有ると思います。こういう状態の患者様は体内時計も思いっきり狂ってしまいますから、起きたい時に起きて疲れ果てたら寝るという感じです。  ですから、貴方が眠るときにはお互いが片方ずつ手錠をはめておくことをお勧めします。  目が覚めたら多分『そういう行為』を強請って来ます。その後幻覚が見える状態になって、そちらの方が正念場です。その言動が治まればもう大丈夫ですよ」  ユキが盛られたのはセック〇ドラックとしても有名な薬らしい。だから体内に入れた瞬間から「そういう」欲求が高まるのだろう。その後は後遺症だか禁断症状だかは知らないが、被害妄想によって暴れるのだろうな……と暗澹たる思いだった。  手錠につなぐことはしたくないがやむを得ないのかも知れない。  ただ、48時間で症状は治まるという新田先生の言葉が一抹の救いだった。 「依存ってキツいですか?あの薬は……」  まあユキのことなのでそういう薬物が入手出来る場所には今後一切近付かないだろうし「仲良し」だと思っていたっぽいインラン・ユリの本性も分かっただろうから今後は縁を切ってくれるだろう。 「いえ、重ね重ね申し上げますが48時間を乗り切りさえすれば大丈夫でしょう。私の注意を守って頂くのは必須ですが。  患者様も一回きりの摂取なので、重度の患者さんに比べれば依存性もそんなには」  看護師さんに小声で指示しながらそう言って貰えたのは良かったと思う。  先生の指示に従ったのか、看護師さんはテキパキと荷物を紙袋に入れている。 「流石に病院の室内着ではマズいでしょうから、服を用意してあります」  新田先生の配慮は至れり尽くせりといった感じだ。詩織莉さんも健康管理とかで――彼女が病気をしたという話は聞いたこともないし、マスコミも報じていないので病気で入院ということはないだろう。映画の撮影とかで忙しくて頼っているのかも知れない――この病院にお世話になっているので、その詩織莉さんが指示してくれたのかも知れないが。 「ありがとうございます。助かります」  新田先生の目配せに従って看護師さんがユキの手錠などを解いた後に点滴の針を外している。  肌理の細かい白磁のような素肌にそういう針が刺さっていること自体が痛々しくて、こんな目に遭わせたインラン・バカのユリへの怒りは募るばかりだ。  店で暴れるとか客同士が殴り合い――オレのお客様ではないが、血の気も多い上に勝気なお客さんが一人のホストを取り合って「〇〇の彼女は私よ」「〇〇に一番気に入られているのはワ・タ・シ」みたいな喧嘩沙汰もないとは言えない。  まあ、そのホストとか先輩ホストなどが当然止めに入ることになっているが、目に余るようだと警察を呼ぶことになっている。  何しろ、ウチの店は詩織莉さんを始めとした芸能人や会社経営者、そして女医さんとか社会的地位のある人が楽しく呑んでストレス解消をする「お上品」さも当然店の売りだ。  だから店内で取っ組み合いの喧嘩沙汰を起こすようなことをして他のお客様のご迷惑になるような人は「出入り禁止」にせざるを得ない。  だから、店のスタッフが手におえないと判断した場合にはさっさと110番通報だった。   しかし、ユキに警察の事情聴取どころか尿検査までされたらアウトだし、それに詩織莉さんも含めて表沙汰にしたくないと思っているに違いない。  ユキだって警察で根掘り葉掘り聞かれるのは嫌だろうし、その上ユキの実家は広域指定暴力団(?)に――物凄くうろ覚えだが、確かそんな名前だったと思う――指定されている。  まあ、ユキをショーにまで出させる詩織莉さんの実のお母さんが「姉御」として君臨していたなら知ったこっちゃないが、ユキもあんなショーで、しかもオレ相手にあんな痴態を晒したのだから実家の組だけではなくて、あの業界内では立場が大暴落していることは想像に難くないものの、そんな最新情報を警察が掴んでいるかどうかは分からない。それに893と覚せい剤は切っても切れない関係にある。  だから、ユキの実家がいくら昔気質とか言い張っても「組長の息子が売り物に手を出していたんだろう」的な先入観に基づいた事情聴取をされることも避けたい。 「さ、どうぞ。これでタワマンにも上がっていけますよ」  看護師さんはオレもどうやってしたのか分からない手品のような感じでユキに下着を含めて着せてくれた。  24時間コンシェルジェが常駐するエントランスホールでもこれなら大丈夫だろう――ちなみに誤解されているようだが、エントランスには会議室めいた場所も有ってそこで奥様達が優雅に缶コーヒーとかジュースを飲みながら話しているがその時にはジャージ姿とか毛玉のたくさん付いた部屋着としか思えないモノを着ている人も割といる――レベルには着衣もきちんと着せて貰っていた。 「では、連れて帰ります。有難うございました」  新田先生と看護師さんに挨拶しながら頭を下げた。 「いえ、万が一のことがありますので、病院の救急車でお送り致しますよ。  サイレンを鳴らして走ればマンションにも早く着きますし。  ああ、ご相談のお電話はご遠慮なく。  病院にでも名刺に書いた私の携帯番号も」  ストレッチャーに乗せられたユキの顔は本当に「眠れる森の美女」という趣きだった。  それも王子様が迎えに来た時のではなくて、薔薇の茂みの奥深くで昏々と眠り続けている時点での。  救急車に乗ってユキの寝顔を――時々苦しそうに眉を顰めるのも心がグサッとなってしまう――見ながら「このまま48時間の眠りについていてくれないかな」という虫の良さ過ぎる祈りを神様に捧げてしまう。  といってもオレが信仰しているのは商売繁盛の神様とか聞いた「恵比寿様」だったのでご利益はないだろうが。  そして紙袋に詰められてオレの足元に置いた手錠などの拘束用具を忌々し気に眺めてしまった。  一つ閃いたことがあって、ほんの僅かばかり気が楽になったが。

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