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第106話

 耳で聞いていたものの――いや、週刊誌とかで見た覚えも有るが――「そんな名前なんだ」としか思っていなかった。  そっか、目が覚め続けているからそういう名前が付けられたんだと思い至った。 「そうです。その『覚醒』です。  しかし、肉体的には物凄く疲れるのも分かりますよね?三日間不眠不休で活動した場合には」  新田先生が噛んで含めるような感じで説明してくれる。  そりゃ、ヘトヘトになるだろうな……くらいはオレでも分かった。 「その肉体的な疲労が辛すぎて、また手を出してしまうらしかったようです。ま、当時に常習者になった人は廃人になってしまうか、戦死してしまうかの二択ですので直接聞いたわけではないですが。  だから、眠ったままにするというのは無理なのです。   最新の医学で何とか72時間から48時間にまで短縮出来たことくらいしか……」  あー!先生が48時間を連呼していたのはそのせいなのだろう。  ユキが盛られた――って多分、注射だろうが。それにド・インラン・ユリを、ユキは慕っていたような感じだったが、オレの家の玄関にまで押しかけて来たという時点で怪しさとか不信感を抱くだろう、普通の人間でも。しかもユキは人並み以上に賢いので尚更だ――薬が「覚せい剤」と似た成分、何でも化学式が微妙に異なるとか新田先生は言っていたが、オレは化学の時間もお昼寝タイムと早弁タイムだったので、そんな専門的な知識をかまされても分からないのは仕方ないだろう。 「なるほど、良く分かりました。  要するに先生が仰ったように48時間はその薬のせいで目も異常に冴えるってことですよね。  え?しかし、戦場での兵隊さんとか、近所の薬局で買った人とかは肌が異常に敏感になる程度は副作用として説明されていたような気がしますが、妄想で暴れるとかそういう状態になったらヤバさが分かりませんか?」  そろそろ病院の出口が近付いて来ているのは何となく分かった。  それに単なる「ふとした疑問」なだけで、新田先生に答えて貰えなくても大丈夫な質問だ。  オレが気にしているのは、看護師さんが押しているストレッチャーだか移動式ベッドだか知らないが、それに横たわって眠っているユキだけで、とっくに死んでしまっている兵隊さんとかではないので。 「私もそれほど詳しいわけではないのですが、戦地に行った兵隊さん――今は英霊として靖国神社に祀られているので、もう神様の一員ですから、こんな些細な悪口は気にしないでしょうね……」  「えいれい」と新田先生は言葉にしたが、一瞬どの漢字なのか戸惑ってしまった。「英霊」という単語は知っていたがイギリス=英国なのはオレも知っていた。だからてっきりイギリスの幽霊のことだろうと思い込んでいたのだが、新田先生の言葉の感じではどうもそうではなくて「英雄の霊」というほどの意味だろうと二十数年生きて来て初めて知った。  イギリスという国は何でもネス湖という湖が有って、そこに恐竜の生き残りではないか?と言われる謎の巨大生物が居ると長い間、信じられていたらしい。後になって「あれは自分のイタズラだった」とか遺書だか遺言書だかに書いた人間が居たらしいし、今も女王様がいらっしゃる国なので、貴族の館とかもたくさん有るらしい。日本でも確か姫路城だかに怪談「番町皿屋敷」のモデルになった女性の井戸が実在すると聞いている。ああいうお城などには怪談とか幽霊などは付き物なので――掘立小屋などに幽霊が出るイメージはないし、そういう貧乏な人なら幽霊よりも借金取りの方が恐怖だろう――てっきりそう思っていた。 「靖国神社……ああ、何か日本のために命を落とした人が祀られている程度『は』知っています。そうですよね。兵隊さんも日本が勝つために命を落としたんですから、ある意味当たり前ですよね」  英国の幽霊の話はこの際端折ることにした。  オレがバカなのは事実だが、そういう話は店のお客さんに「滑らない話」として披露しようと密かに心にメモった。  バリバリのインテリの人と――多分新田先生は聖マリアン○大学とかよりもランクが上の大学の医学部を卒業して博士号とかも持っていそうだ、知らないけど――話しているとオレも勉強になる。  そして、何より眠れる森の「王女様」といった風情で昏々と眠っているユキの青白い顔を見ていると何だか心が痛い。その痛みを一瞬だけでも紛らしてくれるし。 「戦場ではある意味、狂気じゃないと務まらないと読んだ覚えがあります。  それに、東京とか大阪などの大都市も連日のように空襲が有ったようです。戦争末期には。  そういう恐怖と――空から爆弾が降って来て、家がどんどんと燃えるとか、避難場所すら分からないというのは紛れもなく恐怖そのものですよね――食糧難で皆が血眼になっていたらしいので、多少おかしな言動をしてもそれが『普通』だと思われたのでは?  ほら、極限状態になると、人間っておかしなことを仕出かしたりしますよね?  大都市の人が皆そういう極限状態だったわけですから、その中にヒロポン中毒者が――あ、覚せい剤のその時の呼び名です――混ざっていても今ほどには目立たなかったのではないかという説が有力です」  あ!なるほどな!と思ってしまった。  オレがやんちゃをしていた高校の時に親が旅行中とかの友達の家に行って酒盛りをしたことがある。  もちろん、高校生なので今ほどにアルコールの耐性がない時だった。だから皆で思いっきり酔っぱらってしまった。しかし、オレの場合肝臓が今以上に勤勉に働いてくれていたのかグデングデンには酔っぱらわなかった。  その時の友達は酔った挙句に二階の窓から飛ぼうとして慌てて止めたり「脱ぎますっ!!」とか叫んでいきなり服を脱いだりしたのを今でも鮮明に覚えている。  いや、男のヌードも――ユキのように綺麗だと大歓迎だが――「そういう」目で見てしまっていたオレだったけれどももうすぐ100㎏の壁を突破しそうな勢いの裸を見ても見苦しいだけだったが。  そいつの個室で繰り広げられていたようなことが――ま、未成年なのはマズいが、アルコールは法律で認められた飲み物だ――都会全部で起こったら確かに見咎められることは少ないのだろう。  ああいうのは一種の群集心理というか、戦争の狂気に触れてしまって皆がおかしくなっていた時代のような気がしたし。人口が何人居たのか知らないが皆がキチ○イになっていた時代のような気がした。

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