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第109話

「つまり、店外デート扱いとしてキチンとお支払いするっていう意味よ」  ああ、そうかと納得した。まあ実際のところ店は当然休む気でいたので詩織莉さんの申し出は有り難いっちゃ有り難いがそこまでして貰うのは気も引けた。  まあ、映画のロケに付いて行ったホストがルックスを監督に買われて役を貰ったとか言う話は実際に有る。そういう場合は店の宣伝にも当然なるので店も喜ぶだろうが、実際はウソをでっち上げることにしかならないのだから。 「え?良いですよ。オレが勝手にしていることなんで、そこまでして下さると却って心苦しいです」  それに店に行かないイコールお給料が減るのも確かだったが、新人だった時代ならともかく今はそこまで金に困っているわけでもないので。 「良いのよ。洋幸は私の可愛い弟であることには変わりがないもの。広尾の病院に入院したって全額自己負担な病院なんだから。  それをリョウが代わりに面倒を見て貰うんだから、言ってみれば介護料みたいなモノとして受け取って欲しいのよ。決めたからね。  店には私のマネージャーを通して連絡しておくので洋幸のことをお願いね」  有無を言わさない女王様じみた口調で断言されてしまった。  まあ、詩織莉さんも厚意で言って来てくれたのだろうから、これは有り難く使わせて貰おう。  しかし、広尾の病院が全額自己負担なのには驚いた。  そういう病院が有ることとか、派閥とか関係なしに好きな医師を呼んで手術して貰えるシステムを取り入れているトコが有るのはウワサには聞いていたが、あの豪華な家具とか建物とかを考えると慶○病院の特別室が一泊七万円だと思うともっと高いのだろう、多分。 「あ、あのタワーマンションです。エントランスに一時だったら停めても構わないと思いますが。あのう、部屋に運び入れる前にちょっとそこのコンビニで買い物をしたいのですが……」  急なことだったので、ハウスキーパーにオーダーなんて出来なかったのも仕方ないだろう。まあ、これが消防署の救急車だったら――まあ、普通の救急車の場合は患者さんを運んでくれるだけで退院(?)時には「自力で帰れ」と言われるのがオチだが――そんなワガママは言っていない。けれども、詩織莉さん御用達の高級な病院だったらセレブと呼ばれる人々の――そういう人のワガママさにはある意味慣れている――無理難題を聞いてくれそうな気がした。 「あら、着いたのね?じゃ電話を切るわ。何か有ったら夜中でも何時でも良いから電話を頂戴ね。洋幸が早く薬、抜けることを祈っておくわ」  詩織莉さんも状況を察したのか電話を切ってくれた。 「承りました。お部屋までお運びするようにとの先生からのご指示ですので、患者様をお部屋にお連れした後に私が見ていましょうか?  一応ですが看護師の資格は持っていますので、大丈夫です。  それに、コンビニの前とかで救急車を停めるとウチの病院ではなくて消防署にクレームの電話が入ったりして色々厄介なので……」  看護師と改名されて男性も少なからずいるとは聞いていた。しかし、オレのお祖母ちゃんの世代だと「看護婦」と普通に言っていたし、女性率も圧倒的に多かったと聞いている。今でもその風習めいたモノが残っているのかと思いきや意外にも運転手の男性はそんな資格も持っているのかと変なところで感心をしてしまう。  ただ、全額自費負担の医療費用を受け取っている手前、色々な資格とかも持っていそうな病院だ。  実際新田先生も東大の他にオランダの何とかっていう大学院卒という、オレには想像もつかないくらいに賢いのだろうし。  それに、救急車や消防車が帰り際に――コンビニだったか牛丼屋だったかは忘れたが――とにかくそういう店の前に車を停めているのを見た一般人がクレームの電話を入れたという話はニュースにもなっていたのでそれもそうだと思い直した。 「車椅子とかは無理ですよね?こういうマンションの場合は……」  オレがユキの身体を――眠っているせいか妙に重いが体温を感じると幸せな想いもこみ上げて来る――抱き上げると運転手さんがキビキビとした動きで近寄ってきた。 「ないですね。抱いて運ぶしか無理なのではと思います」  バリアフリーだかユニバーサルデザインだかが駅とか公共の施設などでは取り入れられているようだが、このタワマンに住むような人は車椅子生活とかになったら多分シニア向けのバカ高いマンションに引っ越すようにとか思われているんだろうな……と今になって気が付いた。  それこそ、ユキとも話した北千住とかに――あの楽しそうに花のように笑っていたユキをもう一度見たいと切実に思った――2LDで月に30万円も家賃が掛かるシニア向けのマンションがたくさん有るのも知っていた。まあ、48時間が無事に済んで、ユキと一緒に暮らせるなら月30万円のシニア向けのマンションでこじんまりと暮らすのも悪くはないだろうが、遠い遠い未来には。 「分かりました。新田先生からも貴方も怪我をしているのでなるべく負担は掛けるなと言われていますので、私が抱いて運びます。  こういう場所ではドアの開錠とか住人が最も慣れていらっしゃると思いますので」  それはそうだろうなと思って、ユキの華奢な身体を運転手兼看護師に託した。 「ああ、少し管理会社と話して来ます。重いようならば、そちらの喫茶スペースには長椅子が有りますので……」  不測の事態が起こらないとも限らないので、詩織莉さんのことは部屋の持ち主のオレから話しておいた方が良いだろう。  その間、華奢とはいえ成人男性の身体をずっと持つのも辛いだろうなと思って声を掛けると事もなげな笑みを浮かべている。 「大丈夫です。120キロ超えの男性だってずっとホールド出来ますので、ごゆっくり」  ――120キロとか……一体どんな食生活をしていればそうなるのか分からないが、そういう実績が有るなら任せよう。 「直ぐに戻って来ますので」  キーをかざした上で顔認証をパスした。  確かに看護師兼運転手さんには無理なことだし、口で説明して管理スタッフを呼ぶと余計な時間もかかっただろうにと思い至った。 「お待たせしました。この最上階です」  管理スタッフに必要なことを全て伝え終ったかを一個一個確認しながら足早に戻った。  この時間には流石にマンションの共用スペースにも人はいないのでユキをお姫様抱っこしている看護師さんも怪しまれずに済んで良いだろう。  それに病院の救急車がエントランスに停まっていても「マンションで急病人が出たのか」程度にしか思われないだろうし。

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