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第111話

「助けに来てくれるって、信じていたからとっても嬉しい、よ。  ――この手錠とかは、ああ、そっかぁ……ユリさんの恋人の一人が注射したお薬――あれって媚薬みたいなものだから?」  「まだ」理性がキチンを有るらしくてユキの顔は咲きたての白い胡蝶蘭のような笑顔を浮かべていた。  単なる――と言っては語弊があるが――媚薬ならばどんなに良かったかと思ってしまう。考えても仕方のないことだとは理性では分かっていたが、感情はどうにもならない。 「オレ一人でカッコよく、颯爽と乗り込んだんならもっと良かったんだが……」  そうそう映画みたいにならないことがもどかしい。  しかし、フィクションだからこそああいう風になるのだろう。現実はある意味残酷なんだなと苦く笑ってしまう。 「ううん。リョウがスマホのGPS機能――ってゆうんだっけ?あれを付けて欲しいって店員さんに言っているのを実は聞いていたんだ。  だから、スマホ……あれ?どこに行ったんだろ?」  ユキは「媚薬」を盛られたせいで手首と足首に片方ずつ拘束をされていると思いこんでいるような感じだった。  まあ、当たらずといえど遠からずな的なことを言わずとも察してくれて――そういう賢明さとか理知なところが最も好きな点なのだが――本当に良かったと内心で思った。 「すまない、スマホはユキのバカが途中で落としたせいで役に立たなかったみたいだ。  せっかく良いアイデアだと思ったんだが……。  あのホテルを突き止めてくれたのとか、色々手配してくれたのは詩織莉さんで……。  オレなんかよりもずっと大活躍してくれた。  ホントはその役をしたかったんだが……どうやら詩織莉さんの人脈とか行動力なんかで神様のオーディションのお眼鏡にかなったのは彼女だったらしい。  オレは弾除けのほんの端役を演じただけで……。  映画のエンドロールって言うのか?最後に役名と俳優・女優の名前がずらっと並ぶだろう?あれに名前が載らないレベルだな……」  自嘲を込めてそう告げるとユキの扇のような睫毛が大きく開いた。 「弾除けって、ホントの意味で?比喩とかじゃなくて……」  綺麗に澄んだ瞳がオレを見つめてくれている、少なくとも今は。それだけで充分報われたような気がした。 「一応ガチで鉄砲玉を食らった。  あ、動かないほうが良い。動くと色々と辛くなるだろうから」  オレの身を案じてくれたようで素早い動作で起き上がろうとするのを――多分ケガとかの具合を確かめてくれる積りなんだろう――慌てて止めた。 「あのホテルって、図書館みたいなエリアを通るんだ。そこにあった装飾用と思しき本をスーツの中に忍ばせておいたんだ。  バカ・ユリが『そっち系』の危ない人間とも繋がっているということも分かっていたし、一応護身用に。  布地をふんだんに使ったアルマー〇のスーツを着ておいて本当に良かったと思ったことは初めてだ。  普段はさ、ナンバー1ホストに相応しい恰好としか思って着ていなかったんで。  その本が丈夫だったのと銃が小型で貫通力も弱いことが幸いしてどこにもケガなんてないから安心して欲しい」  ユキは紅色の胡蝶蘭のため息のような安堵めいた息と笑みを浮かべている。 「それよりも、ユキ……落ち着いて聞いて欲しい。  あ、その前に出来るだけ飲み物を摂ったほうが良いかもな。紅茶とミネラルウオーターどちらが良い?」  新田先生は水分を摂ることで尿から薬が抜けていくと言っていた。  家に有る一番大きなグラスにコンビニで買ってきた紅茶をなみなみと注いだ。 「全部飲めたら、続きを話すことにする。これも東大医学部を出て、オランダの東大みたいな院を出た名医の勧めなので、それは守って欲しいと思う」  詩織莉さんが具体的な大学名を言っていたがそれを丸暗記出来る頭は持っていないのが残念だ。 「そうなの?じゃあ、飲むよ」  会場で眠れる森の王女様みたいに横たわっていただけで、ショーは始まっていなかった。  昨夜のショーでもそうだったが、熱気とか汗とかで湿度が上がる感じで、それ以前はむしろ乾燥している感じだった。  だからユキも喉が渇いていたせいもあって、ゴクゴクといった健康的な感じで飲み干してくれる。  素直な点もユキの数多い美点の一つだったが、なまめかしく動く喉を見ているとヘンな気持ちになってくる。  ただ、そんな気持ちを抱いてしまうと共倒れになりかねないので、ここはぐっと我慢するしかないだろうけれど。 「単なる媚薬なら良かったんだが――その東大医学部卒でオランダの何とか言う大学院を出た先生がおっしゃるには、覚せい剤に似た成分の、セック〇ドラッグとも呼ばれている薬だそうだ」  説明がまどろっこしくなってしまったのは、一秒でも長く時間を稼ぎたかったからと、口に出してしまうと本当にそうなってしまいそうな感じがしたからだった。  本来なら「そういう行為」を色情狂めいて強請っていてもおかしくないとも聞いていた。  だからユキの意外にも理性のある感じで受け答えしているのが救いと言えばそうだったが。  ただ、新田先生が詩織莉さん御用達なほどの名医なので何らかの薬で抑えているだけかもしれない。  オレも噂でしか聞いたことはないが、アルコール依存症の人間に断酒を勧めても聞かない場合、ある薬をこっそり飲ませておけば――何ていう名前だったかは知らない――アルコールを摂取した次の日には単なる二日酔いとかじゃない激しい頭痛を吐き気に襲われるらしい。   それとは話が違うけれども、そういう何らかのお薬が有ってもおかしくないとも思う。 「そうなの?  お父様から知識として教わっているよ?覚せい剤とかそういったお薬のことは……。  だからかな……何だか身体の奥が火照っているし、素肌もむず痒いってゆうか、リョウに触れて欲しいっておもっちゃうのは……。   でも、まだ話をしていられるんだけれど、そのオランダ帰りの先生のお蔭様なのかもしれない、な……。  でも、何だかだんだんと意識がなくなっていく感じがする。  今はね、こうやって話せているんだけど、頭の中が紅色の靄みたいに霞んでいっているんだ……」  やはり新田先生でも覚せい剤には――まあ「人間やめますか?それとも」みたいな標語があるほど強力な薬なので仕方ないことなのかもしれない――完全に勝てない感じだった。 「47時間耐えれば、大丈夫だと聞いている。  だからこの部屋に二人っきりでいよう、な?  手足を拘束したのも、それが理由だ……」  ユキの長くて細い首がコクンと縦に振られた。白鳥のような優雅さにつかの間見惚れてしまったが。 「意識がなくなる前に言わせて、リョウ、いやシン……」  切々と、といった感じのユキの口調とか、ユキがオレの本名から取ったユキだけが知っているあだ名で呼ばれたのは「まだ」大丈夫なのだろう。  一体何を告げてくれるのだろうか?

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