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第121話

「ユキ、聞こえているか?」  念のために確かめてみることにした。職業柄――と言ってもオレの場合泡姫と呼ばれる風俗嬢で、かつ薬物に近い場所にいるお得意さんは居ないのでまた聞きだったが――薬物に対して少しばかり知識めいたものはカタギの勤め人よりも持っていると思う。  まあ、女医をしている常連客に言わせるとカタギの勤め人ばかりでなくて深窓のマダムにもこっそりと麻薬は蔓延しているそうだが、そういう人はあからさまに語ったりはしないだろう。  オレの覚え間違いでなければLSDと呼ばれる麻薬を体内に入れると聴覚に変化が起こる場合が多いとか読んだ覚えがある。音楽を聴くとそれが脳内で心地よく変換されたり、音だけでなく光とか風景として認識されたりするらしい。  そういう薬物の場合は音楽が――これも音の一種だろう、多分――実体に「脳内では」見えてしまったりするらしい。  そういう場合だとオレの言葉はユキの脳内では違った言語に「翻訳」されかねない。そうだったらオレの努力(?)はムダというか無意味なモノにしか過ぎなくなるので。 「オレの言葉が聞こえたら、右手を上にあげてくれ」  祈るような気持ちでそう告げたら、ユキの華奢な紅に染まった右腕が掲げられた。手専用のモデルよりも鮮烈な色香を纏って。  聞こえているんだな……と一安心した。  声で逝かせるという手段は我ながら名案だと思った。別に自画自賛の積りはないけれど。  肉体的な快感だと身体が覚えてしまうだろうが、耳からの刺激ならば夢うつつの今のユキには有効だろうけれど完全に薬が抜けてクリアになった意識からはすっぽりと抜け落ちているような気がした。  新田先生にもっと聞いておけば良かったと思ったけれども文字通り後の祭り……と思った瞬間に、電話という文明の利器があることに今更ながら気づいた。 「ユキ、好きなトコロを手で弄っておくと良い。  それをオレは目で犯すので……」  ことさら低くねっとりとした声で――お客さんにも物凄く評判が良い――ユキの桜色の耳朶に触れないようにだけ注意して囁いた。  ユキが両足を大きく広げて小さくすぼんだ穴に指を二本挿れているのを見ながらスマホを手に取った。 「あ、もしもし。今五分ほどお時間宜しいですか?」  先生も律儀なタイプらしくオレの番号を登録してくれていたらしい。名乗る前にオレだと分かったような雰囲気に内心ほっとした。  患者さんとその縁者(?)全員にしているわけではないだろうが、詩織莉さん効果はすさまじいものがあるなと感心してしまう。 『大丈夫です。患者様のご様子はいかがでしょうか?  脈拍が非常に早かったり、幻覚に怯えたりはなさっていませんでしょうか?』  スマホ越しに心配そうな声が伝わって来た。ただ、落ち着いた感じでてきぱきとした感じなのは職業上だろう。 「脈拍……それは触っても大丈夫でしょうか?幻覚はなさそうなのですが」  もともとユキは物凄く敏感なタイプだ。皮膚が薄いということもあって物凄く反応が良い。  それが薬剤によって増幅されていたらどうしようかと思うと迂闊には触れられない。 「手首の脈の取り方は分かりますか?掌の――いわゆる内側ですね――そこの動脈、つまり脈打っている血管です――を人差し指と中指、そして薬指に軽く当てて1分間計るのですが?  手首を触る程度なら問題はないと、少なくとも論文には書かれています」  お偉い学者先生が書いているのだから大丈夫なのだろう。  ユキの華奢な手首を取ってトクトクと打っている脈を計ることにした。  普段は脈打っているのが当たり前で、言うなれば空気のようなモノなのだが、今日ばかりはユキが確かに生きている証のようで物凄く嬉しかった。まるで奇跡を目にしたのと同じように。医療ドラマから得た知識では脈拍とか呼吸、そして血圧などの数値のことをバイタル・サイン、つまりは命のサインと呼ばれているらしいが、その意味を体現しているような気分になった。 「一分で76ですが?」  オレの拙い知識だと「正常」の範囲内だと思ったが、もしかしたら間違っているかも知れない。  きっちりと一分間黙って数えていた。新田先生もオレが何をしているのか察したらしくスマホ越しに黙っていてくれた。  まあ、本職の医師や看護師などは他のことをしながらとか、話しながらでも計れるらしいがそんな高等なスキルは当然持ち合わせてはいない。  合っているかどうか内心でドキドキしながら先生の返事を待った。 『正常値ですね。その値なら問題はないです。脈拍が早くなった場合は要注意です。1分で100を超えるようなら遠慮せずにご連絡下さい』  新田先生のキビキビとした声に安堵の溜め息が出た。ついでに一分を数えている間につられたように息も殺していたので深呼吸もしてしまったが。  100を超えたら電話……と脳にメモをしながら口を動かした。  ユキの紅色の指がさらに紅い媚肉の中に出たり入ったりしているのを眺めながら。 「分かりました。先生は『触れるのは禁止』とおっしゃいましたよね?その中に声は入っていますか?」  先生が何だか息を呑む感じの音を漏らしている。  素人考えが甘かったのかも知れないし、無知過ぎて失笑を通り越していたのかもしれないなと思いながらスマホを握りしめた、指が痛くなるほど。

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