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二、三学年合同遠足2
停学明けのあの日、同じ質問を悠馬にして返ってきた答えと笑顔を、なぜか氷雨は二度と聞きたくもないし見たくもないと思っていた。
あの瞬間、氷雨は心臓を鋭利な凶器でつらぬかれたような気分になったのだった。ああ、思いだそうとするとなぜか唇が冷たくなってしまう。
気をまぎらわすためでもないが、ちらと友也へ意識を移してみた。しかし、友也は親衛隊に対し睨むような視線を送っていた。自業自得だが、もうあの頃には戻れないのだと痛感した。
彼は赤い髪の生徒会副会長と何やら話しながら、時折水槽の魚越しにこちらを見ていた。周囲に不審な人物は見受けられなかった。
「しかし桐生様を襲おうだなんていい度胸だ。空手も柔道も剣道も段を持っていらっしゃるあの方を、押し倒せると本気で思ってるのか」
「あっ、隊長も桐生様が武道に長けていることご存じだったんですね」
「当たり前だろ、親衛隊の常識。でも相手が徒党を組んできたらやっかいだからな、気を抜くなよ」
そう、学園のSNSで噂になっていたのは、遠足で誰かが友也を性的暴行する──という物騒なものだった。今のところ怪しい人物は彼の周りに現れていないが、目を離した隙に暗がりに連れて行かれる心配があった。
氷雨は万が一のことがないようにと、魚にもアザラシにも目もくれないで友也だけを見つめていた。あんなに突き離されたのに、それでも氷雨は友也を追った。
悠馬はそんな氷雨の姿を見ていると、鼻の奥がつんとした。健気で諦めの悪い氷雨の姿をここに留めているのは、水圧でもプランクトンでもなく友也の存在なのだと痛感したのだ。
不埒で嘘ばかりつく自分は、氷雨を氷雨にすることはできないのだろう。美しい従兄弟の横顔に、悠馬はまぶしそうに目を細めた。
そんなふうに見つめられていた友也もまた、悠馬と氷雨を視界に捉えていた。
「あんなことがあったのに、どうして悠馬は八雲と一緒にいるんだよ」
友也は隣を歩く友人、津田へ困惑を伝えた。津田は生徒会副会長だ。外見こそ赤い髪に着崩した制服と派手だが、仕事はきちんとこなしていた。彼のそんなギャップを気に入り、友也は津田と気安い関係を築いていた。
「さあな。俺には、友也の従兄弟が八雲に懐いてるように見えるけど」
まさか悠馬の襟首をつかんでいるとは思いもしなかった津田だったが、氷雨と話す悠馬は他人から見ても明るく、楽しそうに見えた。
「暴力振るわれて懐くのか?」
「知らねえけど、従兄弟にとっちゃそのぐらい許容範囲だったんじゃねーの」
「悠馬は優しいからな……」
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