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署名求ム5

 心にもないことを氷雨は言った。氷雨は友也を見ている時の顔とはまったく違う顔をしていた。愛も恋もへったくれもない、でも複雑そうな引きつった表情だった。悠馬はそんなことを気にしていない風にして、バインダーの砂をぱんと払った。 「生徒会には入りません。俺は隊長の下につく親衛隊員ですから」 「僕はお前と関わりたくないんだけどな」 「えっ、それまだ続いてたんですか」 「あのなあ、ドクズ」 氷雨は悠馬の脇腹をつねった。こんな衆人環視の中では、体罰もこれが限度だった。いくら氷雨だとて、もう停学は勘弁してほしかったのだった。 「お前は自分がやったことの重さをわかってない。言っておくが犯罪だぞ」 「それ隊長に言われたくないです」 わざと怒りを煽ってみせれば、氷雨は苛ついてつねる力を強くした。悠馬はその痛みを、頭からつま先まで痺れそうなくらい甘く感じた。 「お前には反省ってものがまったく見えない」 「反省してませんもの」 悠馬は氷雨を真似て舌舐めずりをした。さして色気がないはずの彼の仕草に、氷雨はぱっとつねる手を離し、自然とそれに見入っていた。 「だって隊長、気持ちよかったでしょう」 唇を舐めたら血液特有の鉄の味がした。もちろん先ほど氷雨に皮をむかれたせいだった。無機質なそれは悠馬自身の発言と相まって、異様な雰囲気を作り上げていた。  氷雨はくらくらと立ちくらみを起こしそうになった。僕が? 気持ちよかった? 嫌いな男に愛撫されて? 「──僕ならお前を生徒会執行部の補佐には選ばない」 「気持ちよかったことは否定なさらないんですね」 口を開いた氷雨に、悠馬はにんまりと笑んで言った。彼の言霊から何もかもが、うさんくさくて信用ならなかった。 「僕ならお前を絶対に選ばない」 「そうですか」 「お前が嫌いだからだよ!」 氷雨が叫べば外野が一斉に彼へと振り向いた。  嫌いと言われた張本人の悠馬は、どこか嬉しそうに笑っており、誰もが不気味がっていた。氷雨は紙ぺら一枚握りしめて、今にも雨の降りだしそうな空をきつく睨んでいた。

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