55 / 113
おそらくは救世主5
「うるさい、触るな、気持ち悪い!」
氷雨はその手をはたき落とした。友也もさすがに悠馬へ呆れた視線をよこした。
「悠馬、あんまり八雲の癇にさわるようなことはするな」
「そんなつもりはありませんけれど」
「だからってまた怪我したらどうするんだ」
友也はまるで氷雨を噛みぐせのある犬のように扱っているようだった。氷雨は悲しくなった。どうして僕がこんな言われ方をしなくてはいけないのだろう。氷雨は悠馬の肩を乱暴に掴んだ。
「お前はいつもそうだ。僕をあおって怒りをさそい、被害者になって桐生様の同情を買う。お前さ、最低最悪のゲス野郎だよ」
「お褒めにあずかり光栄です」
悠馬は軽く会釈をした。余裕しゃくしゃくのその態度がまた氷雨を憤らせた。
「またそうやって僕を怒らせようっていうの? もうその手段には乗らない。僕はお前のための都合のいい悪役なんかじゃない」
氷雨はくらくら煮立った鍋のように胸の中がむしゃくしゃしていた。その原因は厳密にわからなかったが、少なくとも悠馬が悪いということだけは明確だった。
「佐野悠馬、お前は今日限りで親衛隊から除隊だ。ただし生徒会にも居させない。これは僕からの最初で最後のプレゼントだ」
氷雨は抱えていたバインダーを悠馬に渡した。悠馬の思ったとおり、それにはたくさんの人の署名があった。そう、氷雨はあのとき取った一枚のフォーマットを大量にコピーし、各部室を回っていたのだった。
「お前が何をもくろんでいるのか僕にはわからないが、せいぜい足掻くんだな」
「隊長……」
「八雲、なんで署名に協力したんだ。八雲!」
友也が語気を強めたが、氷雨は二人へ背を向けて駆けだした。戸惑ったぐちゃぐちゃの表情を見られたくなかったためだった。
「廊下は走っちゃいけないんですよー……」
悠馬がそう茶化してみせても、氷雨は振り向くことはなかった。そのとき窓の外から、弱々しい蝉の声が聞こえた気がした。
ともだちにシェアしよう!