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署名求ム(二日目)1

 むし暑い朝だった。じんわり滲む汗が自らの心境をあらわしているようで、氷雨はちっと舌打ちした。昨日あんなことがあったというのに、視界に入る悠馬は今日も元気に署名を集めていた。 「あっ、隊長!」 悠馬は目ざとく氷雨を見つけ、主人を見つけた飼い犬のように駆けよった。もちろん氷雨は彼を無視してすり抜けようとしたが、あろうことか悠馬は両手をいっぱいに広げて氷雨を抱きすくめたのだった。 「確保ー!」 「うるさい……っ」 悠馬は嬉しそうに声をあげ、氷雨の首すじに顔をうずめた。氷雨が思わずびくりと身体を震わせると、悠馬は左手で氷雨の髪に指をのばした。まるでいとしいものを掴みたいかのように。  氷雨が身をよじっても手で押しのけようとしても悠馬は動かなかった。視線を落としたら、そこには先ほどまで悠馬の持っていたバインダーとペンが地面にあった。  本来の目的まで忘れて抱きしめたというのか──。氷雨は胸の奥に小さな火が灯ったような気がした。けれどそんなものは今見たくも感じたくもなくて、仕方なしに髪をなでる悠馬の指へ意識を向けた。無骨な手に似合わない、繊細な手つきだった。 「昨日僕が言ったこと忘れたのか……っ」 「覚えてますよ」 「なら隊長って呼ぶな」 「では今後は八雲先輩ですね」  顔を埋められたまま、悠馬にもぞもぞ話されるとくすぐったくてたまらなかった。悠馬の唇はやはりかさついていたが、存外やわらかかったのだ。  しかし身体を動かすと悠馬がくすくす笑うものだから、氷雨はどうすることもできなくなってしまった。苦しくて苦しくて、早くここから逃げ出したいというのに。  そんな二人に遠くから冷めた視線を投げかける影があった。盛大な歓声をまとって歩む彼は、バインダーを脇にかかえながらまっすぐに悠馬と氷雨の元へと進んだ。 「今度は八雲か。佐野は節操なしだな」 「大貫様!」  悠馬はがばっと顔をあげた。その隙に氷雨は悠馬の腕からすり抜け、何事もなかったように昇降口へ走っていった。けれど氷雨の心中はおだやかではなかった。  大貫を呼ぶ悠馬の声は、やはり昨日見たときのように心躍らせているように見えて、氷雨は胸をざわつかせた。友也を呼ぶときとはまた違う、どちらかと言えば氷雨に対するなつき方に似ていた。  けれど悠馬は大貫に対して、氷雨の知らない甘えた声を出すのだ。媚びた顔で笑うのだ。大貫が現れた途端、氷雨を抱きしめていた手の力をゆるめてしまうのだ。氷雨の胸の奥に灯った火は、形を変えて彼の心を焼こうとしていた。

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