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エピローグ3

 苦みの向こうに咲羅の微笑みを見つけると、友也は少しほっとした。友也と咲羅はベッドを共にしたことはないし、これからも永遠にすることはない。けれど友也は咲羅といると、ひりひりした自分の胸の傷が、いつまでも不毛な片想いに甘んじている自分自身が、どこか誇らしくさえ思えてくるのだった。  そういえば、と思い出したように友也は独りごちた。咲羅は友也を不思議そうに見つめた。 「高校生のころ、君が聞いてきたことがあったろう。いっそ俺と結婚したら幸せになれるか、って」 「そんなこと聞いたかしら」 咲羅は首をかしげた。彼女にとっては何てことのない会話のうちの一つだったのだろう。 「聞いたよ、いつものリムジンの中で。俺は『幸せになれない』って答えた、悠馬しか好きにならないからって。あれは撤回するよ。俺が悠馬しか好きにならないのは変わらないけれど、君といると安心するんだ」 友也はマグカップをコースターの上に置いた。コルク製のコースターは軽くてやわらかさがあり、重みのあるマグカップもしとやかに受け止めてくれる。  ふと披露宴の光景が友也の脳裏によぎった。新婦友人代表としてあいさつをした女性──マタニティ用のゆったりしたドレスに身を包んでいた──に「とても綺麗よ」と声をかけられたとき、咲羅は泣き崩れてしまった。両親に同じ言葉を伝えられてもにこやかにしていたというのに、あまりに突然のことに参列者たちは驚いていたのだった。 「奇遇ね、私も友也さんといると安心するわ。私たち本当に気が合うのね」 咲羅は自嘲的でもシニカルでもなく、幸福そうに微笑んだ。その顔を見た友也は、結婚指輪に刻んだ〝約束〟が間違いではなかったのだと確信した。  指輪の内側には「T with S」と字を彫った。友也のTに咲羅のS。二人の間にたとえ恋愛感情がなくともお互いともに生きようという、約束の印だ。それはあるいは二人の一生かなわない横恋慕の呪いかもしれなかった。  けれどその呪いは友也にとっても咲羅にとっても、互いへの信頼と言い換えることができた。同性愛者である彼らがそれぞれ別のパートナーを見つけることなく、このまま添い遂げること。だからこそ仕事や住まいや金銭のこと、この先の人生の具体的な計画を立てられるのだった。  部屋の窓の向こうには高層ビルのてっぺんが並んでいた。都心は息苦しい反面とても利便性が高い。友也はクライアントを訪問しやすいし、翻訳の仕事をしている咲羅は打ち合わせに出かけやすいからここが気に入っていた。差し込む光を反射して、友也の指輪が白く輝いて見えた──。  ──それに呼応するかのように、プラチナ製の指輪がにぶく光った。氷雨の指輪だ。テレビ出演を終えた彼は、悠馬が運転する車の助手席で腕を組んでいた。

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