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下の名前

ミーンミンミン…… 鼓膜の奥で反響し続ける、蝉の声。 まるで、僕を責め立てているかのように、いつまでもくぐもって聞こえる。 出掛けに約束してた、オムライス。 もしかしたら、こんな事したって仕方がないのかもしれないけど。 最低限の食材が入ったスーパーの袋を脇に置き、アパートのドア前に腰を下ろして膝を抱える。 太陽が大分落ち、目の前の世界が夕焼け色に染まっていく。 生温く、気怠い空気。 昼間の暑さを思い出させる風が、僕の頬を優しく撫でる。 「……」 何で、怒ってたんだろう。 余りに突然で、どうしたらいいか……解らない。 今井くんが、解らない。 とてつもない不安に襲われ、組んだ手の指先に力が入る。 ふと思い出されたのは……教室での大空と今井。 二人が良く連んでいた頃、僕はいつも、大空を通じて今井くんと関わりを持っていた。 たまに、今井くんが意地悪をしてくる事があったけど、それはただの振りで。大空が僕をさり気なく庇って……その後は、大概僕抜きで話が弾んでいた。 ………でも。 大空が居なくなってから……僕とは一線を引き、皆の前では一切の関わりを持たない。 大空の家に皆で行こうって話が上がった時も……僕は外されたままで…… なのに。 終業式で……突然、あんな事…… 「……」 胸の奥が苦しくなり、顔を伏せ、目を瞑る。 「……どちらさん?」 どれ位経ったんだろう。 突然声を掛けられ、驚いて顔を上げる。 見れば、そこにいたのは大学生くらいの細身の男性。 「そこ、俺んちなんだけど」 「………え」 戸惑いを隠せず、動揺したまま言葉に詰まる。 暫く見つめ合っていれば、その男性が後頭部に手をやり、空を仰ぐ。 「……あー。弟の方か」 「え……」 「(たけし)の友達、だよな」 ……たけし…… 初めて聞く名前に戸惑いながら、働かない頭を何とか稼働させる。今井くんの名前を思い出そうとして、出席表の『今井 猛』の文字がうっすらと浮かんだ。 「………はい」 答えながら、今井くんの名前を初めて意識した事に気付いた。

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