70 / 112

引き裂くもの

スーツ姿の彼が、振り返る。 僕と目が合った瞬間……二つの瞼が大きく持ち上がるのが見えた。 「………実雨(みう)」 小さく動いた唇が、僕の本名を溢す。 それだけで……胸の中が熱くなって…… 「……はい……」 視界が、涙で歪んでいく。 それを拭う余裕もなく、制服の胸元をキュッと握る。 「逢いたかった、です……」 「……」 「………僕、」 また整わない呼吸。 視線を落とし……空いた手で樹さんの袖口をキュッと掴む。 大空の時とは、違う── ふわりと甘くて切ない感情が、僕の全てを優しく包み込んでいく。 だけど、大空に初めて恋した時と同じ感情も、はち切れそうな程に内側から溢れていて…… 「……」 この感覚が一体何なのか………今、ようやく解った。 魁斗の言う通り、僕は─── 「僕、……ずっと、樹さんを……」 酷く震える声。 次から次へと溢れる涙。 それを、瞬きだけで切って落とす。 足下の闇に消えていったその行く末を、頭の片隅で案じながら。 「………実雨」 僕の頬を、樹さんの指先がそっと触れる。 それに驚いて見上げれば、下睫毛に溜まっていた涙がポロッと零れ、頬を伝って流れ落ちる。 「僕も、会いたかった……」 その濡れた頬を、長い指先が優しく拭ってくれる。 憂いを帯びた、優しい双眸。 背中に手が回り、そっと僕を抱き竦める。 「さよならした後も、ずっと気がかりで。 ……忘れた事なんて、一度も無いよ」 「……」 一度も── その言葉に押され、おずおずと樹さんの背中に手を回す。 穏やかな声。優しい匂い。 何もかもがあの時と同じで、胸の奥が柔らかく締め付けられる。 「………樹さん」 「ん……?」 「もう、僕から……離れないで」 回した手に、キュッと力を込める。 僕の事、好きじゃなくてもいい。……身代わりでも構わない。 ……だから、お願い。 もう……さよならなんて、言わないで── 「………うん。約束する」 大空に似た、穏やかな声が舞い降りる。 ずっと苦しかった胸が、呼吸が……やっと軽くなって、楽になっていく。 温かくて……心地良くて…… ……ここに居ていいんだって、思えて。 僕の後頭部を、大きな手が優しく撫でる。まるで、飼い主を見つけて飛び付いた迷子犬を、よしよしと宥めるかのように。 でも、今はそれが嬉しい。例えそこに、恋愛感情が無かったとしても。 「──おいっ!」 低い声と共に迫り来る、強い気の塊。 それは、突然現れた、嵐のように。 大きな手が樹さんと僕の肩を掴み、乱暴に引き裂かれる。 瞬間──樹さんの手が、僕から離れていき…… 「てめぇ! 俺のツレに、何してんだ!」 唸るように響く怒号。 後方に追いやられ、僅かに後ろに蹌踉ける。 驚いて顔を上げれば、僕と樹さんを分断するように、僕に背を向けて立つ人影が見え── 「……!」 ……え…… 今井くん……!?

ともだちにシェアしよう!