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怒り
まさかこんな事になるなんて、思いもしなくて……
身体中から、サッと血の気が引く。
「………お前か! コイツに手ぇ出したって野郎はっ!」
言うか言わないかのうちに、今井くんが樹さんの胸倉を掴み、振り上げた右手の拳が飛ぶ。
肉と肉のぶつかる、鈍い音。
「………きゃあっ、」
蹌踉けた樹さんの近くを歩いていた女性が、異変に気付いて悲鳴をを上げた。
それを皮切りに、何事かと此方へ視線を向ける周囲の人々。
「………」
止め、なきゃ……
……なのに。身体が、手が、震えて………動けない……
今井くんが、振り向く。
その表情は険しく、怒りに満ち、殺意さえ感じた。
鋭く吊り上がった、ギラギラと光る眼。尖った視線。荒々しい息遣い。
その感情全てを抑えるかのように、肩で大きく息をしながら歯を食いしばっていた。
「………行くぞ!」
恐怖で竦み上がる僕の手を、今井くんが乱暴に引っ掴む。そして、駅とは反対の方へと向かい、グンッと腕を強く引っ張る。
それに抗えないまま従い、ついていくものの……
「………、」
少しだけ振り返り、背後を盗み見る。
視界の端に映ったのは、背を丸め、頬を押さえる樹さんの姿。
その前を、何事もなかったかのような顔をした人達が行き交い、樹さんの姿を悪気無く隠していく。
*
通りの名前が刻まれた看板。そこに飾られた、紅白の造花。鈴蘭の形を模した、乳白色の外灯。
駅に近い場所とは違い、殆ど人気のない商店街の奥──連なる店舗と店舗の隙間に、今井くんが僕を連れ込む。
細い外階段の下。通りからは見えにくいその場所に引っ張られた途端、ドン…、と壁に強く背中を押し当てられ、顔の横に今井くんの片手が付く。
「……さっきの野郎が、ミキか……」
「……」
暗闇の中でも解る。
今井くんの荒い息遣いや僕に向けられる視線から……まだ酷く、怒りに満ちている事に。
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