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高揚と消沈
「………実雨」
背後に感じる、気配。
柔らかく、穏やかで優しい声。
それは……大空のものと良く似ていて……
「──!」
弾かれたように、振り返る。
教室に入ってきたのは、紛れもなく──
「………樹、さん……」
どうして──
大きく持ち上がっていく瞼。
涙で滲んだ水鏡に映る、樹さんの姿。
トクトクと高鳴る鼓動。上手くできない呼吸。
──昨日の夜。暗い部屋の中で一人、もしかしたら……と淡い期待を抱き、ずっと避けていた出会い系サイトを開いた。
だけど。僕宛に届いたメッセージの中に、樹さんらしきものは見当たらなくて。
………もう……諦めて、いたのに……
「遅くなって、ごめん」
少しだけ緊張した声で、樹さんが僕に微笑みかける。
「実雨を、迎えに来た」
「──!」
……え……
一瞬──樹さんの姿が、あの時の大空と重なる。
瞬きもせずにいれば、小さく揺れた瞳から、大粒の涙がポロッと零れ落ちる。
それはまるで、バイクに乗せて貰った時に見た景色──雨上がりの雲間から舞い降りる、天使の階段──のように……
僕の中に煌々とした優しい光が射し込み、嬉しさが内側から溢れ、心を、身体を震わせる。
──樹さん……
今すぐにでも駆け寄って、樹さんに触れたい。
ギュッて抱き締めて貰いたい。
大きな手で、よしよしされたい。
溢れる涙を片手で拭う。その衝動に駆られるまま、片足の踵を床から離し、樹さんへと向かおうとした……その時──
『お前………大空が好きだったんじゃなかかったのかよ!!』
脳裏を過る、今井くんの言葉。
その瞬間──鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。
怒りと悲しみを織り交ぜ、僕を睨みつける双眸。そして、荒々しい息遣いまでもが思い出され………
「………でも、」
──こんなの、許されない。
今井くんを傷付けた僕が、これ以上望んだら……
胸元に手を当て、感情を抑え込むようにして俯く。
そんな僕に向かって、樹さんの足がしっかりと床を踏み締めるように、一歩、また一歩と前へ出る。
それに戸惑い、壁伝いに離れようとする僕に、樹さんが口を開いた。
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