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険しい横顔2

思えば、あの時だけだった。 父が、僕の目をちゃんと見て、僕の言葉に耳を傾けて、僅かでも微笑みかけてくれたのは。 『実雨、おいで』 ………温かかった。 胸の奥が苦しくなる位、きゅっと柔らかく締めつけられて。穏やかで、切ない程優しくて…… たった、10日程の短い間だったけど──あの時は、何もかもがキラキラと煌めいて見えた。 父と一緒にご飯を作って。一緒に食べて。ぎこちないながら、話もして。一緒にお風呂にも入って…… 「……後ろから抱きしめられながら、一緒の布団で眠った時は……涙が出る程嬉しかった……」 「……」 もしそれが、母が居なくなった寂しさを埋めるだけのものだったとしても── 「……でも、突然また父が……僕を避けるようになって。 近付こうものなら、睨まれて……時には、物を投げつけられたり。 僕の、一体何がいけなかったのか、全然解らなくて。怖くて。 ……それからずっと、一定の距離を保ったまま……まともに会話もしてないし、顔も合わせてない。 ……今は、もう、まるで僕なんて最初から……この世(ここ)に、存在していなかったみたいに──」 「──ごめん、」 少し強い口調で、ぴしゃりと話を遮られる。 それに驚いて、樹さんに顔を向けた。 「ごめん。これ以上聞いたら、平常心ではいられなくなるから──」 険しい横顔。 少し吊り上がった目尻。きゅっと引き結んだ唇。 こんなに怒った顔の樹さんを、今まで見た事がない…… 何者も寄せ付けないオーラを醸し出し、あの穏やかで優しい樹さんは何処にも見当たらない。 「……」 ──ごめんなさい。 そう思っても、それすら言えない程、ピンと張り詰めた空気。 車内の雰囲気が重苦しくなってしまったのを感じ、勝手に話してしまった事を後悔した。 ラジオも何も掛かっていないせいか──パチパチと、雨粒がフロントガラスに当たる小さな音と規則的に動くワイパーの音だけが、やけに響いて聞こえる。

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