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第2話 白馬の王子さま

 隣町には、この恰好を始めて一度も来たことが無かった。僕のことを見たことが無ければ、一人二人ぐらいは喧嘩を売ってくれるんじゃないだろうか。あの、夢のバイオレンスでエキサイティングなスクールデイズが、また始まるんじゃないだろうか。  もし、総合格闘技の選手みたいな巨大で剛力の男が居たとしたらどうしよう。腕の骨と脚の骨と鼻を折られるかもしれない。顔中ぐちゃぐちゃで歯も三、四本折られて、この僕が「もうやめて」と泣きながら懇願しても殴りつけられるかもしれない。……やばい、考えるだけでゾクゾクする。  そんなことを考えながら、放課後悶々と隣町の所々シャッターの閉まった寂れた商店街を歩いた。そこでちょうど頭の悪そうな見た目の奴ら三人が、正面から大股開きで歩いてくる。相手が俺の顔を睨み付けているのが分かったが、僕は完全に相手を無視した。通り過ぎる瞬間、それが気に食わなかったのだろう、腕を乱暴に掴まれた。 「てめえ、何処の奴だ?」  頭が悪そうな言い方だった。滑舌はあまり良くないし、見た目は鼻輪と耳輪を付け、一人前に服を着た金髪ゴリラと言う感じだった。周りの奴らも革ジャンとかスカジャンとか着た猿って感じで全く怖くない。 「隣町の住人だね」  笑いを堪えるのが辛かった。脳味噌の詰まってない、自分が強いことを誇示することしか知らない馬鹿どもだ。僕はそんな奴らに力の限り殴られるのだ。何て素晴らしいんだろう。考えるだけで嬉しさのあまり笑みが溢れそうになる。 「調子に乗んじゃねえぞ、もやし野郎!」  もやし……言い得て妙である。色白い上に髪も白、それに一年前より死線を越えてきただけあって――時々殴り返さないと怪しまれるので反撃していたら筋肉がついて――体が一回り太くなったとは言えまだまだ貧弱である。睨み付けていた男たちが殺気立つ。 「ウホウホうるさいゴリラだな。離せよ」  僕が嘲笑を浮かべながら――単に嬉し笑いをしてただけだけど――男の手を引き離そうとした瞬間だった。金髪ゴリラが顔を真っ赤にしながら拳を振り上げた。僕は歓喜の表情でそれを受け入れる……はずだった。  金髪ゴリラの腕が宙に浮いたまま止まっている。ゴリラも僕も、驚きを隠せない。 「やめろ」  すぐ傍で声がして、ぎょっとして僕の左隣りを見ると、黒髪オールバックで黒の学ランを着た男が立っていた。男の手は金髪ゴリラの腕を掴んでいる。この男が止めたのだ。 「ナギサワ……!」  ――ナギサワ。ゴリラは幽霊でも見たかのように汗を額に滲ませ、顔を強張らせている。がっちり体型のゴリラに対し、身長は高いが体型は劣っているように見えるしあまり不良っぽくはないのだが……この辺りで相当な実力者なのか? 「邪魔するな! 俺の喧嘩だぞ!」  金髪ゴリラは腕を振り解こうとしたが、男の握力は想像以上に強く、彼の力では解くことができないようだった。 「ち、ちくしょう!」  追い詰められ、どうすることもできなくなったゴリラは、抑えられているのと反対の腕を振り上げ、男の顔面に向けて拳を振り上げた。しかし、彼の拳が男の体に触れることは無かった。男はゴリラの攻撃を無駄のない、頭を振るだけの動きでさっと避けると、脇腹に一発右ストレートをぶち込んだ。ゴリラは殴られたことを認識できなかっただろう。気付いた時には両膝を地面に着いて胃液を吐いていたはずだ。  周りに居た取り巻きの男二人は真っ青になって、慌ててゴリラの両腕を抱えながら早足で立ち去った。 「お前も帰れ」  男は「じゃあな」というように片手を上げ歩き出す。嫌だ、逃したくない、と瞬間的に思った。この圧倒的な力を持った人間に、僕は殴られたい。蹂躙されたい。あのゴリラのように胃液を吐きながら地べたに這いつくばりたい。 「待てよ」  勢い余って男の肩を掴んでしまった。男の肩は見た目よりもがっちりしていて、引き締まっているような感じがした。何かスポーツでもしているのだろうか、普通の男子高校生に比べてかなり鍛えられている。  と、その時、彼が振り向いたと同時に視界が遮られ、それが何なのかを気付いたのは、彼が腕を引いた時だった。顔面擦れ擦れで拳を止めていたのだ。 「もうここへは来るな。綺麗な顔が歪むぞ」  踵を返し去っていく男の後ろ姿を見詰める。全身が総毛立つ。体が小刻みに震える。怖い、と初めて思った。あの男は、違う。今まで僕を殴ってきたヤンキー共とは世界が違う。  あの男に、殴られたい。マウントポジションで僕の意識が飛んでしまうまで、圧倒的な力で骨を砕かれたい。顔の形が変わるまで、顔中が血だらけになっても、殴り続けて欲しい。あの鋭い眼差しを真っ直ぐに向けながら。そして、できれば、無理矢理犯して欲しい。あの引き締まった肉体に乱暴に、まるで物を扱うように僕の肛門が引き裂かれ血を流しても構わず好き勝手に快楽の限りを尽くして果てて欲しい。  体中が熱く昂ぶっているのが分かった。ああ、どうしてくれようか。僕は見付けてしまったんだ。僕の白馬の王子様を。  僕は「ナギサワ」という初めて見た男の奴隷になることを、その瞬間に決めた。そしてその時は気付かなかったが、クラスメイトが噂していた最強の男は彼のことだったのだ。正しく運命の出会いだった。

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