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1.最初の距離(4)

「――…」  先生の肩が、僅かに揺れた。  俺は揶揄めかして言葉を重ねる。 「女の子だったら可愛いだろうなって、女子が騒いでましたよ。瀬名先生カッコイイからって」  ショートホームルームの後、一時間目の移動教室の直前に、加治と仲の良い女子生徒の一人が教えてくれた。 「横田が、今朝職員室で他の先生が話してるのを聞いたって言ってました。そう言うことは本人の口から聞けっていう、先生の気持ちもわかるけど……こうなるともう今更ですよね」  横田と言うのが、その女子生徒の名前だ。彼女は絶対に間違いないとはっきり言い切っていた。 「来月に産まれてれば、結婚記念日と重なったかもしれないのに」  忘れもしない、あれは二年前の六月のこと――。  俺が名木先生から目を離せなくなったのもその頃からだ。  瀬名が以前から交際していた相手と結婚式を挙げ、その後新婚旅行に行っている間、クラスの面倒は今朝と同じように名木先生が代理を務めた。  その時の先生の様子に、どこか違和感を覚えたのが発端だ。  それでも、最初は気の所為かもしれないと思っていた。  しかし、それからほど無くして、屋上で独り佇む先生の姿を見たとき、それは確信に変わった。  放課後、屋上へと続く階段をのぼっていく先生の姿を偶然見かけた俺は、何となくその後を追った。  気付かれないように息を詰め、一定の距離をあけて、先生がドアに手をかければ身を潜めてその様子を窺った。  そしてがちゃりと施錠を解く音がした瞬間、俺は瞠目した。  耳障りな金属音を響かせながらドアを開け、逃げるように外へと踏み出した先生は、まるで嗚咽を押し殺すように唇を噛みしめ、いまにもこぼれ落ちそうな涙を必死に堪えているように見えた。  そのあまりに悲痛な面持ちに、俺は件の違和感が気の所為ではなかったと悟ったのだ。

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