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2.変わらない距離(5)

 職員室に常駐する名木先生と違って、瀬名は化学準備室にいることが多い。  そしてその準備室には、瀬名の人柄のせいか、気軽に遊びにくる生徒も少なくないし、瀬名の入れるコーヒー目当てと称して談話しにくる他の教師の姿も珍しくなかった。  だが意外なことに、その輪の中に名木先生がいることは滅多にないのだ。もともと瀬名と名木先生が昔からの知り合いであることは周知なだけに、かえって不自然にも映るほど――。  自分的にそれはあからさますぎて、居た堪れないとでも思っているんだろうか。それとも、単にその必要性を感じないから?  噂では〝煙草〟が理由だと耳にしたこともあるが、それはどう考えても建前だろう。  まぁいずれにしても名木先生は、瀬名に用があれば職員室で済ませているのか、少なくとも自分から化学準備室まで足を運ぶようなことはほとんどしていないようだった。  ――だけど、もし瀬名に直接誘われでもしたら?  名木先生は絶対に断れない。  仮にも同じクラスを受け持つ者同士、それも同僚とは言え瀬名は名木先生の先輩だ。仕事の話とでも持ちかけられたら、尚更選択の余地はない。  挙句、そうして話しているうちに、うっかり昔話に花が咲いて――なんてことになったら、名木先生はきっとまた人知れず心に傷を増やしてしまう。  俺は密やかに歯噛みして、消えた〝誰か〟の後を追った。 「先生が行くとしたら……」  最初に思い浮かぶのはやはりあの場所だ。それこそ〝煙草〟を口実に先生がいつも独りで身をおく場所。  俺はタンタンと上履きの音が響くのも構わず、屋上へと続く階段を上った。 「――っ、あ」  次に足を止めた瞬間、思わず声を上げた。  目の前に佇む扉のガラス越しに、給水塔の方へと向かう人影が見えたからだ。 「やっぱり……」  俺の勘は当たっていた。名木先生に違いなかった。  俺はそのまま外の様子をしばらく見守り、やがて先生の姿が見えなくなると、無意識に詰めていた息を静かに吐いた。  見るともなしに視界に入る西の空が、鮮やかな朱色に染まっていた。  沈みかけた太陽が、薄らと纏った雲の中で陽炎のように揺れている。  しばしの逡巡を経て、俺は思い切って扉を開けた。いつもと同じ、金属の擦れる嫌な音がした。

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