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4.守りたい距離(10)

「これ……って、瀬名に? だってあいつ、俺には返せないって……」  それは一本の煙草だった。  俺は瞬きも忘れて、それと加治の顔を交互に見遣った。 「他に誰がいるんだよ。――名木ちゃんか?」  言われて更に絶句する。思いがけないその名前に、ぎくりと大きく心臓が跳ねた。  なんでそこで名木先生の名前が出てくるんだよ。と、言えば良いのにそれも言えない。 「まぁ、それくらい大事なものに見えたんだろ。――ああ、決して吸えって意味じゃないから、そこだけは勘違いしないように、とも言ってたっけ」  続けられた言葉が、耳を素通りしていく。  相変わらず加治はとぼけたような表情で、 「お前が守りたかったのって、名木ちゃんだろ?」  何でもない風に淡々と言った。 「お前、名木ちゃん大好きだもんな」  口調はあくまでも軽口めいて、ともすれば冗談みたいな言い方なのに、 「――…」  それにこっちが上手く対応できず、気まずいような沈黙が落ちる。  やばいと思った。なんでいつもみたいに流せなかったんだろうと思った。  だがそれも全て後の祭りだ。 「………お前」  変に間を置いてしまったせいで、余計どうにもできなくなった。  この期に及んで白を切りとおせるほど、俺も厚顔無恥にはなれない。  俺は観念して深い溜息をついた。

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