79 / 137

5.近くて遠い距離(16)

 先生はどさりと背凭れに身体を投げ出し、目元を片腕で覆った。 「俺は、どうやっても広明さんを想うことをやめられなくて……それこそ、受験が終わって、顔を会わせる回数が減っても、それは全然変わらなくて――」  そして再び、告解を求めるかのように言葉を紡ぎ始める。  その響きが余計に俺を遣る瀬無い心地にさせる。  胸の奥に、鋭い痛みが走り、これ以上はもう聞きたくないと、耳を塞ぎたくなる。  そんな俺を他所に、先生は続けた。 「俺の心の中は、……あの頃からずっと、広明さんのことでいっぱいで」  だからもう、本当に無理なんだ。俺はお前の気持ちは受け入れられない。俺はこれからもそうやって、広明さんのことだけを想って生きて行きたい――。  ほんの少し先を想像するだけで、足元から全てが崩れ落ちていくような感覚に襲われる。寒いように震える歯の根を、悟られたくなくて強く噛み締めた。 「……なのに」  外界の音がどんどん遠くなり、自分の忙しない鼓動と呼吸音ばかりが耳につく。 「なのにいつからかその一部をお前が占めて……」  視界の端で、先生は顔を隠していた腕を緩慢に下ろした。 「あの日――あの雨の日以降は、その割合が更に増えて」  その手が今度は俺へと伸ばされ、振り向けない俺の肩に触れた。 「今では少なくともその分……お前のことも放っておけないとは思い始めている」  ゆっくりと綴られる言葉が、遅れて思考回路に辿りついた。  ――放っておけない……?  先生が?  俺を?  肩先に置かれた先生の手に、じわりと力が込められる。 「仲矢……こっちを見ろよ。俺の顔なんてもう見たくもないのか」  言われても、すぐには従えない。  だって意味が……放っておけないって、どう言う意味?  先生が好きなのは瀬名で――瀬名広明で、でも俺のことも放っておけない……?  それって要するに、手のかかる子供としてってこと?  できの悪い生徒としてって意味?  考えれば考えるほど、凍りついたように身体が動かなくなる。辛うじて動いた視線だけが、所在無げに中空を彷徨っていた。  単なる子供や生徒として、ということならある意味何も感じない。だけど、そうやってわざわざ言葉にするってことは、最低でも他の生徒とは違うってことだと思っていいんだろうか。  でも、だとしたらどこが?  どこかどんな風に違うの?  ……ねぇ、そこを教えてよ。 「先――」  そう、やっと口を開きかけた時だった。  俺は目を瞠り、息を呑んだ。  言葉の続きを奪ったのは、先生の唇だった。

ともだちにシェアしよう!