80 / 137

5.近くて遠い距離(17)*

 ――え……、何……?  その直前、振り向かせるように肩を引かれたのは認識していた。それと同じくして、先生の顔が近づいてきたのも。  だけどまさか、そのまま――キス、されるなんて。 「…っ……」  目の前の光景が信じられなくて、俺は触れ合ったままの唇をどうすることもできない。  初めて好きな人とキスをしたみたいに、心臓の音ばかりがどんどん大きくなって、危うく唇から伝わってしまいそうだとどこか他人事のように思う。 「……、…」  先生の唇が、僅かに開く。薄くできた隙間から、迷うように舌先が覗いた。その先がおずおずと俺の唇に触れる。ぎこちない仕草で合わせを辿り、かと思えば、何事もなかったかのように逃げ帰っていく。  その感触が徐々に俺を現実に引き戻し、改めて状況を把握すると、途端にどうしようもなくテンションがあがった。  だって先生の方から俺に触れてくるなんて初めてのことだった。  だめだ。やばい。――もっと触れたい。  たちまち霞む理性に思わず手を伸ばしかけるが、すんでのところでどうにか堪える。  俺は指を握り込みながら、吐息が掠める距離のまま囁くように問う。 「ねぇ、先生……このキス、どういう意味……?」  すると先生は、その問いにこそ困惑したと言うように、上擦る声で小さく答えた。 「いや……、何だか、お前が泣いているように見えて」 「泣いて……はないですけど。ああ、でも……そっか、そういうことか」  その言葉に、俺は思わず空笑いを漏らす。  それはまさしく、先刻俺が口にしかけていた問いに対する答えだった。  先生から見た俺と他の生徒の間に、何か違いはあるのか。あるとすれば、何がどう違うのか。  答えは簡単なことだった。  ――それって、慰めてくれるってことですよね。俺だけは、特別に。  俺は一度視線を伏せると、一呼吸置いてから目を開けた。  そしてそれ以上は何も言わない先生の耳元に顔を寄せ、 「そう言うことなら、俺、遠慮しませんから」  一方的に宣言するように言って、唇を重ねた。

ともだちにシェアしよう!