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6.本当の距離(3)
「バイク、間に合わなかったな」
言われて、小さく瞬いた。
思わず我に返ったように加治を見る。
「……お前どこまで目敏いんだよ」
一拍置いてから呆れ顔で零すと、加治はどこかしたり顔で笑った。
「後ろに人を乗せたときの、あの密着具合がいいって言ったの、お前だろ」
「だからって別に俺は」
「二人乗りするってなると、嫌でも相手から触れてくるよな」
「………」
そこまで言われると、さすがに言葉に詰まる。
俺は何も言い返せないまま視線を逸らし、
「……別に頭っからそのつもりだったわけじゃねぇよ」
ややして、言い訳がましく呟いた。
事実、俺が中型バイクを買おうと思ったきっかけは、純粋に憧れからだった。年相応の、男なら一度は、とでも言うべき単純な動機だ。
……ただ、触れたくても触れられない先生を見ているうちに、夢に見たことはある。
先生を、一度でいいから後ろに乗せて走ってみたい――。
って、もちろんそんなこと、加治どころか誰にも話した覚えは無かったが。
「まぁ、俺も部を引退したら、ガンガン乗り回すつもりだけどな。それまでにお前もちゃんと金貯めて買っとけよ。そしたらほら、一緒にナンパにも行けるだろ?」
揶揄めかして口端を引き上げる加治に、俺は一瞬唖然とした顔をして、それから声を潜めて笑った。
普段と変わらないばかみたいなやりとりに、肩の力が少し抜けた。ポケットの中の手のひらもゆっくり開く。
「どうしても相手に困ったら俺が後ろに乗ってやるし」
「いらねぇよ」
俺はかぶせるように言って、視線を加治から頭上に移した。
隣でおかしげに肩を揺らす加治を横目に、眩しすぎる青空に目を細め、吹き抜ける風にひと時目を閉じる。
そろそろ行くか、と水を向ける加治に、俺は「そうだな」と言いつつ、なかなかその場から動けなかった。すると気を利かせてくれたのか、加治は「またメールするわ」とだけ残し、先に校内へと戻って行った。
背後でドアの閉まる音が響くと、せめてもっと静かに閉めていけと内心独りごち、遅れてそんな自分に苦笑する。
やっぱりあのドアを無音で開閉するのは無理なのだ。それなのに、上手くやればそれも可能だからと、俺を平然と諌めたのは名木先生だった。
「っかし、あっちーなぁ……」
カバンを脇へと挟み、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、俺は気だるげに背を丸め、昼下がりの空をぼんやり眺める。
七月も後半だ。気温は高い。じりじりと肌を焼く陽光は加減を知らず、すぐに額にも汗が浮く。
「明日からバイトの日々だし……俺もとっとと帰れってことかな」
できればもう少しここにいるつもりだったが、それも長くはもちそうにない。
風があることだけが唯一の救いで、それがなければここまで粘ることもできなかっただろう暑さだった。
「はー…」
諦め半分に、深く長い息を吐く。
そこに、一際強い風が吹き抜けた。
「……っ!」
そろそろ散髪して来いと、たびたび注意を受けるほどに伸びていた髪が、ばさばさと乱れて肌を叩く。
俺は小さく舌打ちし、片手で掻き上げた前髪を、そのまま頭頂部で押さえつけた。
その横に、不意に人影が立つ。
「――…」
風が止んだ。
俺は目を見開いて、視線だけを僅かに動かした。微かな煙草の香りが鼻先を掠めた。
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