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6.本当の距離(5)

 ごめんね、先生。俺のせいで瀬名の傍にいることすらできなくなって。  俺は密やかに奥歯を噛み締めた。  心に募る悔しさと後ろめたさが、一層遣り切れない心地にさせた。 「……どう足掻いても……」  そんな中、不意に耳へと届く声。先生は振り返ることもなく、静かに言葉を継いだ。 「どう足掻いても、お前は生徒で、俺は教師だ。その関係は変わらない」 「え……?」  俺は僅かに視線を上げた。先生の顔が見えるほどではないが、その背中は視界に入った。 (……何だよ、今更)  なんでよりにもよってこのタイミングで、そんなこと?  先生の背中を見詰めながら、怪訝に目を細める。 (……あ、もしかして)  刹那、一つの答えに思い至った。  ――そっか、これが引導を渡すってやつだ? 「先生は本当に真面目な人だな」  俺は思わず失笑した。  だってそんなこと、改めて言われなくても解ってるのに。  解ってるから、 「――もう、いいですから」  俺はもうそれ以上先生の口から突き放すような言葉を聞きたくなくて、そのまま踵を返そうとした。  なのに、その足を先生が止める。 「俺は真面目なんかじゃない」  ぽつりと、それでいてはっきり言い切られ、俺は瞬き、顔を上げた。  先生は依然として俺に背を向けたままで、あくまでも平然としているように見えた。  見えたけど、 「本当に真面目な人間は、こんな理由で学校を辞めたりしない」  そう告げた先生の声はどこか覚束なく揺れ始めていて、俺はそんな先生の背中から目が離せなくなった。  内心困惑していた。困惑して迷い、堪えきれず「先生?」と、呼び掛けようとするが、それより先に先生が口を開く。 「俺が……、俺がこの学校を辞めるのは……、せめてお前との、その直接的な関係を、断ち切りたかった、からで……」  だから、全然真面目なんかじゃ――…。  最後の方はもうほとんど音になっていなかった。  ――だけど俺にはちゃんと届いた。  その言葉も、その言葉の意味するところも。 「先、生……」  どさり、と、抱えていたカバンが足元に落ちる。それに構わず俺は手を伸ばす。  そんな風に声を震わせながらも、佇まいだけは凛として見せる先生の背中に。  だけどその実、心の中はどうしようもなく余裕を失くしている先生の背中に。 (ああもう、冗談じゃねぇよ……っ)  音もなく踏み出し、距離を削る。途中からは一気に間合いを詰めて、気がつけばこれ以上ないくらいにその身を強く抱き締めていた。

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