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scene.6 硝子の蛹―phaze.asaki―
「……はあ……。航太の手前あんな事言っちゃったけど、俺大丈夫なのかなぁ……」
「…ん?…どうした?…悩み事?」
「……まあ、それもあるんですけど……俺こんな状態なのに、あいつの期待に応えてあげられるのかなって…。」
「…良いんじゃない?……家の中でズルズルと引きこもってるより、たまには違う空気も吸ってみて、気分転換でもしてみれば」
そう言って俺を慰めてくれるのは、本店で働く年上の後輩・結真さんだ。
今日は大きな予約も入っていないとかで仕事も早仕舞いだったらしく、就業時間の後に俺のスマホに連絡が来て、飲みに行こうと誘われた。
いつもなら同じサロンで働く社長と一緒に家に戻るらしいのだが、今日は社長がサロンオーナー同士の懇親会で夕方から出かけているので時間を持て余していて、だったらたまには…と、俺に声を掛けてきたらしい。
なので俺は電車で移動して、いつも結真さんが通っているという本店近くの小さな一杯飲み屋に来ていた。
「ああ、そういえば聞いたよ。…この前、瀬名さんの所に行ったんだって?……あの人に何か言われた?」
やはりこの人の情報は早かった。
元々が結真さんから紹介された話だから当然と言えば当然なのだけど、あの瀬名医師もただじゃ転ばない人なんだな…と、俺は思った。
「…その事なんですけどね。どうも俺の中にかなり昔から積み重ねられたものがあるんじゃないかって言われたんですよ。けど俺自身そう言われてもあまりピンと来なくて…真相は未だ謎のままですよ」
「へえ、そうなのか。……俺みたいにはっきりした原因があれば分かりそうなもんだけどね」
「どういう事ですか?」
「俺の場合はガキの頃からの親父との確執ってのがあってさ。…とは言っても、単純に済む問題でもなくて…いろいろ複雑な事情みたいなのがあったわけよ」
「……?」
「まあ親父もとっくに亡くなってるし、もう20年以上も前の話だから時効みたいなもんで。……実は俺、元愛人の子供なの。それもその亡くなった親父の」
「……え!?」
「これ、ちょっと分かりづらいと思うんだけど…正しくは『元・愛人だった女性』の子供。俺の母親ってのはさ、俺をシングルで産んでるのよ。…で、親父とは俺を産んだ後に再婚してるから、だから『元・愛人』の子供」
「……いや、ちょっと…衝撃すぎてどう突っ込んだらいいのか分からないんですけど…。」
「別に深刻に考えるような問題でもないよ?俺ももうとっくに立ち直ってるし」
「……はあ…。」
「そんな事より自分はどうなの?……亜咲は旧家の跡取りなんだろ?…相続問題とか大変なんじゃない?」
「……まあ、無いといえば嘘になりますけど……今は俺が実家を離れているので、向こうで何とかしてるんだと……」
「ちなみに亜咲んちって何の仕事してるの?」
「……うーん、何だろ。……例えるのは難しいんですけど……占い師?…いや、違うな。…霊媒師…かな?」
「……霊媒師?…それっていわゆる陰陽師みたいなもん?」
「…まあ、それに近いかも知れませんけど……俺んちの場合はちょっと違ってて、『夢見』とか『魂飛ばし』っていう方法で、体の不調とか原因不明の症状とかの根本的な原因を、その人が見る『夢』や『過去の記憶』を通して探り当てる、みたいな……そんな感じ、なのかも」
「あー、なるほどね」
俺がそう説明すると、結真さんは黙って頷いてくれた。
実際のところ、俺の実家の仕事というのがかなり特殊なものなので、こんな感じで説明をしても、正直なかなか理解してもらえない事の方が多い。
良くも悪くもスピリチュアル的な要素が強すぎて、こんな非現実のような話自体を信じない人も居るので、俺はあまり自分の実家の事を話したくないのが実情なのだ。
「……結真さん、本当に分かってます?こんな夢みたいな話。信用してないんじゃ…?」
「え、俺?…無い無い。逆にそういう話は大好きよ?…俺も一応、乾みわ子先生の生徒みたいなもんだし」
「……は?そっちの方が全然意味分からないんですけど?」
「あれ、知らない?…あの人、ただのヘアスタイリストじゃないよ。日本屈指の心理カウンセラー。今はないけど、昔はそれこそテレビとかバンバン普通に出てたしね」
「…いえ、それは知ってますけど…」
「…俺も昔、そういう路線の勉強を少し齧ってた事あるんだよな。だから別に何とも。…あ、それじゃ亜咲って、退行催眠みたいな事とかも出来ちゃったりする?」
「…さあ…。そういうのは、あまり考えた事は無いですね…。結真さんはどうなんですか?」
「…俺?…興味はあるよ。何か面白そうだし、そこから新しい自分を発見出来たら、それはそれで楽しくなるかなって」
「……そんな楽観主義な人が、何で心の病気を抱えてたりしたんですか!?」
「さあ?何でだろうねぇ。実は俺も未だに謎なんだよねー?……だから興味があるの。亜咲はそういう力持ってたりしない?」
「…俺に聞かないでくださいよ。ただでさえ原因分かってないのに」
こっちは真剣に悩んでるのに、どうしてこの人は……と、ため息をつきそうになった。
だがしかしそんな俺の甘い考えは、すぐに返された言葉でかき消されてしまった。
「…ってのは冗談で……亜咲。お前が本当に辛いんなら無理はしない方が良いぞ?…今はまだ平静を保っていられるのかも知れないけど、追い詰められるとどんどん悪い方に堕ちていく。…そういう時、つまりお前自身が壊れてしまった時には、もう誰も亜咲を助けてあげられなくなる。…人ってね、一度深みに落ちるとなかなか立ち上がれなくなっちゃうんだよ。そういう時に誰かがそっと手を伸ばしてくれたら…その手は絶対に離しちゃいけない。……それはお前にとって大きな救いになるし、未来へ踏み出すための新たな一歩となる。……その事だけは、絶対に忘れちゃいけない」
「……。」
「これは俺の推測だけど…きっと亜咲にとって、その存在は航太なんだよ。……俺がかつて護に救われたように、今のお前を救えるのは、あいつだけなんだと思う。…あの子はまだ若い。でも、亜咲の事を誰よりも大切に思っているのは俺でも分かる。……だったら、たまには甘えても良いんじゃない?」
「…結真さん…。」
「硝子の中に閉じ込められた蛹は、誰かがその硝子を割らない限り、いつまで経っても外へは出られない。……外の世界は見えているのに、成虫として羽化する準備も出来ているのに、硬い硝子がそれを邪魔するから、いつまで経っても出られない。……俺には、今の亜咲がそんな硝子の中に閉じ込められた蛹みたいに見えるよ」
『言い得て妙』、とはよく言ったものだ。
例えは違えど、結真さんのその言葉は今の俺の精神状態そのものだと思った。
俺には航太という存在があり、彼は俺にとって誰よりも大切で、絶対に失いたくない恋人なんだけれども、その反面で、半永久的に抗えない俺自身の立場が、そんな航太の存在を遠ざけてしまっているのかも知れない。
俺はいずれ、実家に戻らなくちゃいけない。そう自分に言い聞かせながら、だがその為には航太を巻き込んではいけない、いずれ別れなくてはいけないと、心の奥で彼を突き放そうとする俺が居る。……そんな葛藤が俺の心の大きな負担になっているんだと、結真さんの言葉で改めて思い知らされたような気がした。
「きっと護も、そんな亜咲の様子がずっと気になっていたから、無理矢理にでも航太をお前の傍になるべく寄り添わせていたんじゃないかなー。…じゃないと、いずれお前は自分の心に押し潰されてしまうから。…それにさ。あの人も昔、俺の知らない所でかなり精神的に追い詰められてた時期もあったみたいだし。…だからこそ、今のお前を見ていて何となく心配になったんじゃないのかな」
「……結真さんは何でも知ってるんですね。社長の事とか」
「え、そう?…俺だって、何もあの人の全てを知ってる訳じゃないんだよ?…幼馴染って言ったって、俺が此処に来るまで20年以上も離れていた訳だし。…その間に護はみわ子さんと結婚して、航太が生まれて、でも離婚して…。もちろん、俺も何も無かった訳じゃなくてさ。やっぱり歳を重ねた分だけの事はあって、でも今はこうして馬鹿みたいに笑ったり、昔の経験を気にせずに話せるようにもなったしな。……時の流れって言ってしまえばすごく単純な話なんだけど、そういうお互いの経験のもとに、今の俺達の関係が成立しているんだって思えば、これほど幸せな事は無いと思うんだよね」
「…そっか。それが結真さんと社長の間にある目には見えない信頼関係、って事なんですね」
「うん、そうだね。……大丈夫。亜咲と航太も、いつかはそういう関係を築いていく事は出来るようになるはずだよ」
「……そうなのかなぁ……」
「ついでに言うと、航太だって何もなかった訳じゃないらしいぞ?…あいつはあいつなりに悩んでたって、教えてくれた。お前との事もそうだけど、自分のちょっと変わった嗜好の事とか、何かいろいろと。……今はあまり気にしなくなったみたいだけど」
「…それも社長からの情報ですか?」
「いや、そっちはみわ子さん情報かな」
「えっ!?俺、全然聞いた事ない…」
「…まあ、単純に言うと悩み過ぎるなって事。亜咲、お前って意外と悩み癖深いんだな?…そのうち禿げるぞ」
そう言って、結真さんは俺のグラスにビールを注ぎ、自分も手酌でビールを煽る。
どうしてこの人は俺の心の全てを見抜いていながらこんなにも優しくしてくれるんだと、見てないようでよく見ている結真さんの感覚の鋭さに、何も言えなくなってしまった。
その場の空気が保たなくなりそうな気がした俺は、注がれたビールを一気に煽り、更に注文を重ねる。…あまり飲みすぎるんじゃないぞ、という結真さんの言葉も聞かず、自分が何も考えられなくなるくらいの勢いでその場をやり過ごしたのだった。
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