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scene.7 記憶の欠片を探して

『…では、この子は……来たるべき日まで、私たちが大切に育てていきます。婆様、それでよろしいですか?』 『……はい、ご迷惑をお掛け致します。よろしくお願い致します』 『……ねえ、ボクはどうなっちゃうの……?』 『…亜咲。…貴方はこのまま、私たちの元で生活していくのです。…それが藤原の宗家に生まれた者の、昔からのしきたりなのですから』 『…だけど……いつも一緒に居たのに……。』 『……大丈夫だよ。どんなに離れても、亜咲は僕と一緒に居るよ。……これが最後じゃないんだよ。……いつかまた、会えるよ……。』 『……離れるなんてやだよ。……ねえ婆様、一緒に居ていいよね?……ボクを一人にしないで……婆様。……何とか言ってよ!』 『……申し訳ありません。このままだとこの子の聞き分けがなくなりそうですので……何も言わずに、そのままお行きください』 『……婆様!…嫌だよ。…飛鳥を……飛鳥を返して……!!』 ――『飛鳥を……、ボクの大切な弟を……返してっ!!』―― 「……っ!!」  俺はそのまま飛び起きた。 一体何かあったのかと思ったが、それが夢である事はすぐに認識できた。 「……ああ、夢……いや、おかしい……俺の頭の中にある記憶と、実際の過去が合わないのは何故だ…?……飛鳥……弟……?……いや、そんなはずはない……」  俺の中には、弟という存在は無かった……はずだ。 両親から聞かされた話は、生まれてすぐに亡くなったという子供は居たが、俺自身には弟という存在も無ければ、その時の記憶も無い。それから数年後には妹が生まれていて、彼女は今も実家で両親と暮らしている。  俺はと言うと、藤原の家の次期当主として認定された時点で実家を離れる事になり、本家の方へと移住する事になった。その時から上京して今のサロンに就職するまで、年に数回程度の実家帰省はあれど、それ以外では藤原本家で現当主である祖母と二人だけで暮らしていた。  その頃からずっと、祖母からそういう話を聞かされた事なんて無かったし、俺の方から聞くつもりも無かった。    ――だが、その頃の俺の記憶が曖昧なのもまた……事実だった。  俺の祖母は、長い歴史のある藤原家代々の当主の中でも特に霊的能力の強い人で、その力で世界を動かせるという噂が立つほどだった。その為、彼女の元にはかなり有名な政財界の人間ですらアドバイスを求めて訪れるほどだと言われている。  それほどの力を持ちながらも決して奢らず、依頼された人にとって本当に必要な事であると確信しない限り、霊媒師としての仕事は絶対に引き受けないという信念を持っている人だった。そのせいか、次期当主候補の俺に対してもかなり厳しく接していた人だった。  そんな人に育てられたからこそ、自分の生きたいと思う道を決めた時、職種は違えども、俺も祖母と同じように、自分の仕事に強い信念とプライドを持っていこうと思ったのだ。    だがしかし。……いざ蓋を開けてみれば、その結果はこれだ。 ――『へえ。じゃあ、もしかしたら退行催眠みたいな事も出来ちゃったりする?』 ――『…俺?…興味はあるよ。何か面白そうだし、そこから新しい自分を発見出来たら、それはそれで楽しくなるかなって』  ――それは唐突だった。昨日の結真さんの言葉が、俺の頭の中に飛び込んできたのだ。  結真さんの説明によれば、『退行催眠』というのは数あるメンタルカウンセリング療法のうちの一つだという事なのだが、それを実践するためには、相当量の専門の知識と特殊な技術が必要で、例えば精神科医の瀬名医師のような、本当に限られた資格を持つ人物だけにしか出来ないのだという。……なので。 「……瀬名医師に、頼んでみようか……」  俺の頭の中で、咄嗟にそんな事がよぎった。 自分だけではどうにも出来ないものならば、それはやはり他人の手を借りるしかない。  そう思った俺は、意を決して再び眠りについたのだった。 ◇ ◆ ◇  ――翌日。 俺はクリニックに電話を入れて、瀬名医師に無理矢理スケジュールを空けてもらった。 「こんにちは、瀬名先生」 「ああ藤原くん。急にどうかしたの?…私に相談があるっていうからクリニックを開けて待ってたんだけど…。」 「実は、先生にお願いがありまして。……俺の記憶を探ってもらえないですか?」 「え、記憶?……それはどういう意味なのかな」 「……今の俺の頭の中には、自分が自覚できている確かな記憶と、そうじゃない記憶があるみたいなんです。…だからなのか、時々記憶が錯乱状態になっている事があって……前に言った発作というのは、どうもそういう時に起こるらしいんです。…だから俺は、真実が知りたい」 「いや、それは……。もしそれが本当なら、今君が抱えているその身体の不調の原因を探るきっかけにはなると思うんだけど……。」 「先生は、結真さんのカウンセリングもやってたんですよね。…あの人、先生に診てもらった事がきっかけで、自分でもそういう勉強をしてた事があるって教えてくれました」 「…確かに私は、彼の事も診てたけれど……その事と、今ここで君の記憶を探る事と、どういった関係があるのかな?」 「結真さんの話によれば、精神科医は『退行催眠』という治療法を実践できるって……」 「…いや、参ったな…。そんな話が、あの彼から切り出されるとは……。確かに私は、精神科医として『退行催眠』という治療法を施す事は出来るけど…その前に、何故君がそう思ったのか、その話を聞かせてもらってもいいかな?……実践するかしないかは、君の話を聞いてからだよ。『退行催眠』というのは、命の危険を伴う。……例え成功したとしても、その時に明かされた記憶で、今の君の症状が改善するとは限らない。寧ろ悪くなってしまうかも知れない。……それでも君は、『退行催眠』を実践して欲しいと思うのかい……?」  瀬名医師の言葉が、俺の心に重く圧し掛かる。 とは言え、俺だって軽々しくそんな言葉を出した訳じゃない。  最初は結真さんから何となく聞いた話だったけど、それがもしかしたら今の俺が抱えているこの不思議な記憶の謎を解き明かす為の、一つの打開策になるかも知れない。   ――ずっと曇りがかっていた俺の闇の中で、新たな光が輝いて見えたような気がした――。 「この前は言えなかったんですが……実は俺、旧家の跡取りで次期当主という立場なんです。先生はこういう仕事をしている方なので、もしかしたらどこかで聞いた事があるのかも知れませんけど……俺の実家は、神屋得宗(かぎやとくそう)の藤原宗家なんです」  そして俺は……生まれて初めて、自分の実家の事を隠さずに言う事が出来た。 相手が精神科医という立場の瀬名医師だからこそ、俺はこの人には真実を語っても大丈夫だと思ったのかも知れない。  俺の突然の告白に、瀬名医師は一瞬だけ言葉を失った。…だがそこはやはり精神科医らしく、大して動揺もせずにすぐに言葉の真意を掴んで納得したようで、返ってきたのはごくごく普通の会話だった。 「…へえ、旧家の……。君はそんなに大変な立場の人だったんだね。…あ、そうか。だから君は、自分の中にある記憶の違和感を、詳しい理由は分からないけど、何となく自覚してたって事なんだ。…なるほどね」 「……俺、おかしいですか?」 「いや、そんな事はないと思うね。寧ろ不思議なくらいだよ。…しかしね。まさか君があの神屋得宗家の人間だったとは……。でもそういう事なら、私は君の思いに応えてあげよう」 「……本当ですか!?」 「もちろん。…ただし、今すぐには出来ないよ。さっきも言ったけど、『退行催眠』というのは命の危険も伴う治療法で、例え成功しても症状が改善するとは限らない。安全に行う為には、君の事をしっかりと繋ぎ止められる人間が居ないと困る」 「…俺を繋ぎ止められる人間…?」 「そう。『確実に』君の事を繋ぎ止められる人間。…それは例えば、君の身内であったりとか、勝又君のような同じ職場の人とかね。…とにかく近しい立場の人に君の命の手綱を引いてもらわないと、その魂をこちらでも引き戻す事が出来なくなる。…『退行催眠』なんてのは最もらしい言葉だけど……言ってみれば、究極の幽体離脱みたいなものだからね?」 「……え、幽体離脱!?」 「そう、大変なんだよ?……恐らく、宗家の人間の君なら分かると思うんだけど。……ところで、婆様はまだご健在なのかな?」 「えっ?…先生は俺の婆様のこと、知ってるんですか?」 「もちろん。私もただ精神科医をやってる訳じゃないしね、少なからずそういう情報も聞いてはいるよ。彼女は有名な方だからね。…でもそのおかげで、私も覚悟は決まったよ。……藤原く……いや、亜咲君の方がいいかな、亜咲君の今後の為に、最大限の協力をしてあげますよ」 「…瀬名先生……。ありがとうございます」 「じゃあ、亜咲君。今度此処へ来るときは、必ず誰か信頼できる人と一緒に来てね。私はいつでも、君を待ってるよ?」 「分かりました。……よろしくお願いします」  瀬名医師はにこやかに笑って、俺を送り出してくれた。 そして思った。……俺はもう、迷わない。自分を偽らない。例え何があっても、全てを受け入れる。……航太の為に。二人が本当に進むべき道を見つけてみせる。  ――今回のこの決断はきっと、俺と航太のこれからの生き方の答えを教えてくれる。  そんな明るい兆しが、見えたような気がした。        

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